日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

やっと出会えた歌声

ジョージ・ハリスン オールタイム・ベスト』(原題『LET IT ROLL』)
今、このアルバムを夢中で聴いている。

ビートルズというおごりもなく、新人歌手のようなやさしい歌声。
そして、丁寧な楽曲作り。スーッとこころの中に入ってきてくれる。
もちろんジョージのソロアルバムなのだが、これがビートルズだったのか、とあらためて感じることも。

ビートルズを初めて知ったのは1966年の来日のとき、テレビのブラウン管に映る4人のメンバーの姿を見た。思えば、彼らの楽曲よりもその姿(ビジュアル)で先に接した。
それ以前に、ザ ヒットパレードでスリーファンキーズなどが、和訳で歌っているのをテレビで観聴きしてはいたが、ビートルズの名前を漠然と知っていた程度であった。

4人のメンバーを見て、ジョージの顔が一番 目についた。
一番目立たなく感じたのは、ジョン・レノンであった。
ブラウン管の彼らを見て、名前と顔がすぐに一致するようにもなった。

その後、ビートルズの動向の情報は気にするようになったが、あまりにも大騒ぎされるため、かえってのめり込むようなことはなかった。
ただ、ポール&ジョンの才能が際立って、お気に入りだったジョージはグループ内で控えめで目立たない存在に感じて、それがずっと気になっていた。

ビートルズの解散が散々噂された後期に、ジョージはインドに興味を持ち、シタールを楽曲に使ったりした。今まで遠慮していたジョージも自らの個性を表現しようとし始めたのかな、と興味を持った。他のメンバーもインドにおもむくが、ジョージのようには馴染めず戻っていく。宗教のからみもあったようだが、ジョージは精神的に入り込んでいるような気はしなかった。

解散後のメンバーたちのソロ活動では、ポールやジョンの流れは、やはり漠然と知っている。ポピュラー性の強いポールはその方向でがんばっていたが、ビートルズ時代の才能の切れは感じられなかった。かたやジョンはカリスマ性がどんどん強くなって、ファンを熱くさせる部分が強くなっていた。そのとき、ジョージのことはまったくわからなかった。
線の細さが気になって、他のメンバーに負けずにがんばってほしい、と無意識の中で応援はしていた。

ジョージが亡くなって10年。
センセーショナルなジョンの最期とちがい、ひっそりと亡くなったような印象が強かった。
ジョージの音楽をいつか聴く、という意識もあったが、なかなかその気になる機会もなかった。そして、今こうして聴いてみて、アルバムの中に生きている生のジョージにやっと出会えたという思いでうれしくなる。

いかにも彼らしい、澄んだアコースティックな部分がたまらなく好きである。
今になって、彼の楽曲とようやく出会えたことを大切にしていきたい。