日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

語り継がれぬその年の代表曲

 

ネット、スマホの流通で、映像・音楽などの配信も定額料金制が定着している。まさに今は“所有”から“利用”への転換期なのか。CDやDVDという媒体を必要としない点では、レンタルと通じるところもありそうだ。

昔、江戸でも「損料(そんりょう)屋」なるものが庶民に重宝されていたという。布団や鍋などの日用品、衣装も貸して料金を受け取るというレンタル業者だ。

住まいの長屋は6畳程度で家財道具を置くスペースもないし、頻繁に火事も起きるため合理的選択としてモノを持たなかったらしい。

戦争とモノ不足を知らない。高度経済成長期に育ち、「明日は今日より豊かだ」を信条にフォークやロック、漫画など大衆文化も生む。

堺屋太一さんは『団塊の世代』の前書きで書いた。「団塊」とは鉱業の専門用語で、堆積岩中に周囲と成分の異なる物質が丸みを持った塊となっている状態を指す・・・のだと。

 

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前後の世代と異なる経験と性格を持つ団塊世代は、一線を退いても“人生100年時代”を切り開く最前線にいるようだ。また、子どもの団塊ジュニア世代も異質の経験をしている。

大不況期の日本で就職時期を迎え、非正規雇用に甘んじた人も多い。いわゆる「就職氷河期世代」である。

団塊世代やその前後の世代から、日本の音楽シーンも塗り替えられた。カラオケの普及もあり歌いやすい曲ばかりが求められる時代となり、プロ歌手の圧倒的表現力やプロ作家の革新的創作力は軽んじられた。そして戦前からの歌謡曲は衰えていった。

作詞家・阿久悠さんのエッセイに『誰が歌謡曲を殺したか』がある。全盛期を知る阿久さんには歌謡曲は“殺された”ように映っていたらしい。

思えば、その年を代表する曲を思い出せぬ時代になって久しい。「聴き歌」がなくなったことを阿久さんは歌謡曲を殺した犯人の1人と考えていたようだ。

 

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自分で歌って楽しむ「歌い歌」とは違い、「聴き歌」はもっぱら歌を聴き歌い手の技、芸を楽しむ歌のことだという。

戦争はもっと苛烈なものだという思いがあったのか。こういう歌で戦争を語れるか、などと反戦フォーク『戦争を知らない子供たち』がヒットしたとき、その賛否が世に渦巻いた。

戦後生まれの若者が平和をやさしく訴える内容に、旧世代は“甘さ”を感じたようだ。戦後まだ25年の1970年にその曲は生まれた。

過ちを身にしみて知る人々がたくさんいた。また、ギターを奏でる若者たちにしても、戦場の悲惨、空襲の恐怖を聞いて育ったはず。戦争への怒り自体は共有しているなかで、この歌は議論を呼んだのだろう。

それからまた半世紀を経た今の音楽も、専門の作曲家や作詞家に頼らず、自分たちの言葉を自分好みのメロディに乗せて伝えるという割合は多いだろう。ただ、歳をとったせいか現在の流行歌がまったくわからないのがとても情けない。