日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

秋の夜も悪くないと想う時期

 

<迎えの拍手はきのうまでの人気、降りる時の拍手は今の人気>。五代目 古今亭今輔さんの名言だという。人の一生に置き換えても当てはまりそうである。

芸道と同じく、人生にも良いことと悪いことがある。また、人には食分(じきぶん)と命分(みょうぶん)があるという。人が一生に食べる物の総量を食分といい、命分が寿命の長さらしい。

ある者があの世へ行くと<こいつはまだ命分があるから帰せ>と閻魔大王は言う。冥界の役人が<命分はあるが、食分が尽きている>と応じた。

それらはあらかじめ決まっているから、より多く求めても無駄。大王いわく<しからば蓮の葉を食べさせよ>と命じ、その者は生き返り 蓮の葉で余命をつないだ。

今の世は、(世代別調査によると)20歳代以上の人で、1日の摂取カロリーの最も多いのは男女とも60歳代だったという。その食分と命分の割合はどうなっているのだろうか。

 

 

20年ほど前の調査では、60歳代が(男女とも)20~50歳代のどの年代より少なかった。それが今では、若い人よりも食欲の旺盛な60歳代になっている。60歳代より若い世代は、健康志向によりカロリーを気にする人が増えたことも減少要因のひとつなのだろう。

摂取カロリーの減少と平均寿命の延びは、“食分=命分”との関連もあるのだろうか。なにはともあれ、<衣食をむさぼるなかれ>の教訓が生きるようだ。

<寄鍋や むかしむかしの 人思ふ>。山口青邨さんの一句である。夏の暑さでおさまっていた食欲が、秋の涼しさとともに蘇る。

昔はどこにも商店街があり、豆腐店精肉店が軒を並べ、少し隔てて青果店があったりもする。そこを歩き水槽の豆腐や肉を見て、白菜やネギを見れば“寄せ鍋”を連想したり楽しめる。スーパーで食品コーナーを移動するのとは、やはり趣がちがった。

 

 

涼しくなると秋の夜もわるくないと、それぞれの食材が頭のなかの鍋で煮える。我が家では卓上のIHヒーターの出番が増える時期である。これがとても使いやすくて、カセットのガスコンロは捨てた。

昭和も終わりの1987年7月23日午後、首都圏が大停電に見舞われた。折からの猛暑で電力需要が急増、複数の変電所がダウンして影響が280万戸に及んだ。

最大3時間余で復旧したが、バブル真っ最中の日本は信号機が消え、エレベーターが止まり、病院もパニック。銀行のATMも使えない。

それは、今回の台風被害の光景にも重なる。9日に上陸した台風15号による大規模停電で、千葉県を中心に深刻な影響が広がっている。

世の中の電力依存がどんどん進み、生活で必要な家電やシステム等あらゆるものが電気で動く。本を読んだり写真を撮るのも電気。スマホも電気がないと使えない。

現在は30年以上前より、事態がはるかに深刻なはずだ。それが何日も続いている。電気が使えないことの被害は計り知れない。被災地の速やかな復興を願うばかりである。