日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

ホットとクールなメディアは

 

カナダの英文学者、文明批評家であるマーシャル・マクルーハン(1911年~1980年)は、電波時代の予言者とも言われ、「未来の未来は今にあり」との発言で、未来の兆しを現在に発見する能力の持ち主であった。

「メディア・イズ・メッセージ」という独自の文明論で、世界的に有名になった。それは伝える中身より、伝えるメディアによって、受けるものの質が変わるというものだ。

<話の中身はコミュニケーションのわずか7%のウエイト>だといわれる。どんなにいい話でも受け手は話そのものよりも相手の表情やしぐさ、そして服装などへ9割以上の関心が向く。その残りの93%こそがマクルーハンのいうメディアなのだろう。

なにかのメディアを通じて伝える場合、映画、ラジオ、テレビ、そしてインターネットなどによって、伝え方を変えていく必要がある

 

 

マクルーハンは、映画やラジオをホットメディアと位置付け、テレビをクールメディアとした。映画よりセットが貧弱であるテレビでは、カメラが寄って人物などのアップが多い。それを想定してシーンの場面やセリフを決めていく。

映画では引きの画面が多くなるので、テレビとはちがう。舞台の脚本になると、映画やテレビのようにシーンをいくつもかんたんに切り替えられないため、セリフ主体で物語を進行させる。同じテーマのものでも、媒体に合わせて伝え分ける必要がある。

テレビは家の窓をのぞくような感覚で、映画のような美男美女は映えない。近所にいるような親しみを感じるタレントがウケるようだ。そして、窓の外のようにハプニングに関心が行くメディアでもある。

デジタルハイビジョンは1080本の走査線数にて一枚の絵が成り立ち、毎秒30枚で動画になっている。フィルム映画では、一コマずつが完成された絵になっている。この構成要素の違いでクールとホットが分かれるともいわれる。

 

 

ホットメディアは、熱く高揚するようなイメージであろうか。テレビが普及する前の戦時中では、国民の戦意高揚に映画やラジオが駆使された。

私は湾岸戦争の爆撃シーンをリアルタイムのテレビで観たが、客観的で妙に醒めている自分を感じていた。同じ情報でも車移動の仕事のときなど、カーラジオから得られる情報はテレビと質がちがうのを感じる。テレビよりラジオの方がホットに聴けるのである。

さて、マクルーハンはまだパソコンが存在しない時代から、インターネットのような世界を具体的に唱えていた。それをグローバルヴィレッジ(地球村)と言っている。そして、電子メディアはクールであり、活字メディアはホットであるとも定義している。

今、“デザイン思考”の第1人者である佐宗邦威さんの著書などでは、<手書きメモからアイデアを生む>ことを推奨されている。手を動かすことで右脳からのアイデアが生まれるのだという。なぜか、マクルーハンのメディア論を思い出しながら読んでいる。