日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

よきライバルと粋で付き合う

 

<本当にベストだったと思うためには、自分のみならず相手のベストも必要だ>。現役だったイチローさんが雑誌のインタビューに答えたときの言葉だと記憶する。

<はたちの日 よきライバルを 君に得て 自ら当てし 鞭いたかりき>。こちらは西条八十さんの葬儀にて堀口大学さんが捧げた弔歌だという。ふたりの詩人には「負けてなるか」と競い合う青春があったのだ。

映画『明日に向って撃て!』で共演したポール・ニューマンさんとロバート・レッドフォードさんは年の差11歳だが、よきライバルだった。

その友情は映画の中だけではおさまらない。車のレーサーでもあるポールさんはロバートさんに会うと、うんざりするくらいに車の話をしたそうな。

ポールさんの誕生日が近づき、ロバートさんは絶好の誕生日プレゼントを思いついた。ポンコツのスポーツカーを廃車業者で選び、赤いリボンをつけてポールさんの自宅に届けさせたという。

 

 

その反応を楽しみにしていたロバートさんだが、ポールさんからはなんの連絡もない。そしてある日、ロバートさんの元へ奇妙な届きものが・・・。

それは、ポンコツ車をプレスした梱包であり、ロバートさんの家のリビングの床が抜けた。無言のうちに交わしたふたりの会話を想像すると愉快である。まるで、悪ふざけで通じ合う粋な映画のようでもある。

生きていることへの喜びや幸せが“生きがい”なのか。その年齢に見合った値打ちだと“年がい”ということになりそうだ。それにふさわしくない行動では“年がいもない”と眉をひそめられる。

とはいえ、気心の通じる相手には、いくつになってもヤンチャでいられることで、どこか温かいものが漂う。

 

 

「かけがえのない」という言葉は、“掛け替えのない”ということで代わりがないという意味らしい。人に対してや、モノや出来事との出会いなど、あらゆることで使われる。どういう形でも、“かけがえのない”ことが増えると人生が豊かになりそうである。

さて、次の言葉はお気に入りなのであるが、私は一度も使っていないだろう。

「あたぼう」である。漢字では「当坊」と書くそうで、文政期に流行した当たり前を意味する言葉だという。

<「あたりまえだ、べらぼうめ」のことだが、そんな長い言葉を使ってみろ。日の短い時分には日が暮れちまうし、温気の時分には言葉が腐っちまう。それで詰めて“あたぼう”ってんだ・・・>。

落語『大工調べ』にて、与太郎へ大工の棟梁が「あたぼう」のいわれをレクチャーするシーンのセリフである。上述のポール・ニューマンさんとロバート・レッドフォードさんが使っていたとしても、まったく違和感のないノリのいい言葉である。

こういう粋で楽しい言葉はドンドン使わないと、人生を損するような気分になってきた。