日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

意識や表現もアレンジしだい

 

物陰から“ぬっと”現れる。物陰から“ぬうっと”現れる。その「ぬっ」と「ぬうっ」には違いがあるという。以前に読んだ新聞のコラムにあった。

不意に現れ出るさまを「ぬっ」といい、のろい動作で薄気味悪く、不意に現れるさまが「ぬうっ」なのらしい。たった一文字で動作に大きなちがいがあるという。

昨年、生活情報に関する研究所が首都近郊の夫婦を対象にした調査を行った。今の関係は“亭主関白”、“カカア天下”、それとも“友達夫婦”なのか? というものだ。

30年前の調査では“亭主関白”と“友達”が拮抗したようだが、今は過半数が“友達”を選んだとのこと。もはや“亭主関白”は絶滅危惧種になり、“ちゃぶ台返し”などもっての外のようである。

 

 

夫婦の意識は変わっても、夫の行動が追いついていないこともあるらしい。その調査で「夫も家事を分担すべき」と答えた夫は82%だが、妻からの視線では実際に「食事のしたくをすることがよくある」夫は14%だったそうな。

編曲家・萩田光雄さんの編曲家デビューは1973年で高木麻早さんの『ひとりぼっちの部屋』だというから、まだまだ“亭主関白”が闊歩していた時代だったのかもしれない。

萩田さんは、歌謡曲の黄金期を支えたものすごい人である。

1975年に布施明さんの『シクラメンのかほり』と、翌76年には梓みちよさんの『メランコリー』で、日本レコード大賞編曲賞を2年連続で受賞した。

シクラメンのかほり』の作詞と作曲は小椋佳さん。『メランコリー』の作曲が吉田拓郎さん。それぞれのセルフカバーで、ご本人たちが歌うオリジナル曲と比較すると、萩田さんのすご技がよくわかる。

木綿のハンカチーフ』、『待つわ』、『プレイバックPart2』、『少女A』、『想い出がいっぱい』・・・などと、荻野さんが編曲をしたヒット曲は多い。

 

 

70年代~80年代を中心に4000曲以上を手がけた日本を代表する編曲家の荻野さんは、まさに「ヒット曲の料理人」である。

私は若い時から編曲者に興味を持った。たとえば、作詞:岩谷時子さん、作曲:弾厚作加山雄三)さんの名コンビがヒット曲を連発したときには、森岡賢一郎さんが見事な編曲をこなしていた。

編曲の定義は広くて、どこまでが作曲でどこからが編曲なのかも気になるところだ。極論では歌のメロディーを作れば作曲となり、その他はすべて編曲家が担うケースもあるという。印象的なイントロも、編曲家の“作曲”であることが多いといわれる。

萩田さんは、歌謡曲の名作曲家・筒美京平さんとも仕事をしている。作曲家と編曲家との名コンビぶりや相性も探ってみると、ヒット曲のエッセンスが垣間見られて楽しめる。

 

 

今週のお題「わたしの好きな歌」