日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

あのヒーローのベストシーン

 

この名を聞くと今も胸躍る。テレビが物珍しい昭和33(1958)年に、『月光仮面』という変身ヒーローが登場して夢中になった。また同じ年には、スーパーヒーローがプロ野球にデビューしている。イチローさんの語録は有名であるが、このヒーローも(語り継がれる)多くの語録が尽きない。

長嶋茂雄さんである。ご自身のキャリアの中で“ベストシーン”と振り返る試合は、伝説のあの試合。1959年6月25日(後楽園球場)の巨人―阪神戦。プロ2年目の長嶋さんは、昭和天皇香淳皇后を迎えて行われたプロ野球初の“天覧試合”で、サヨナラホームランを放った。

開幕から安打を量産し、打率首位をキープしていた長嶋さんも、大舞台を意識したのか、直前の2試合は無安打だった。天覧ゲームの前日、午後10時に床に就いたが、寝入ったのは午前1時頃。翌朝に試合で使うバットを決めた。

その決め手は“音の形”だったという。その1本はスイングをして<振った瞬間の音(おと)の音(ね)がとてもよかった>のだと。

 

 

午後7時に試合開始。開始が近づき陛下、陛下と気持ちが向かっていく。プレーボール後に、貴賓席を見上げた時の光景が鮮明に残る・・・という。長嶋さんの守る三塁から貴賓席がほぼ正面にみえて、上を向くと陛下、下を向けばボールと全てが視界の中にあった。

スター選手が揃う巨人と阪神の試合は、ただでさえビッグゲームであった。それが初の天覧試合なのだからなおさらだ。

5回裏、名投手の小山正明さんから長嶋さんは同点ソロ本塁打を放った。続く坂崎一彦選手も連続本塁打で勝ち越した。しかし、阪神は6回に3点を挙げて逆転。7回には新人の王貞治選手がホームランを打ち同点にした。ONのアベック本塁打は初で、華々しい(コンビの)活躍がスタートをした。

阪神は新人の村山実投手を救援に送った。長嶋さんにとって、かけがえのないライバルになる熱血漢であった。7回の打席で長嶋さんは三振を喫した。

 

 

村山投手と長嶋さんの次の対決は9回裏、先頭打者として迎えることになる。<打者に対してピッチャーはいろいろ研究して、いろんな方法で投げてきますが、バッターはね、来た球を打つんだという意識。それだけ>と長嶋さん。

2ボール2ストライクから勝負の5球目、胸の内は無心であった。強気の村山投手が決して逃げないことも熟知している。(予想通り)インコース高めに速球がきた。見逃せばボールだ。それを思い切って振った。打った瞬間にホームランという高い打球が左翼へ・・・と。

一塁へ走りかけて長嶋さんは「ファウルになるかも」と立ち止まったが、左翼上段への着弾を見届け、最高の笑みを浮かべた。身を乗り出して観戦される昭和天皇香淳皇后

サヨナラ本塁打による終了は午後9時10分。両陛下の退出予定時刻の5分前だった。長嶋さんがホームへ帰ってきたときには、<陛下がね、(ご退出のために)お立ちになってました>とのこと。

一進一退の攻防は巨人5―4阪神。村山投手はがっくりしたまま動けなかった。その後、61歳で亡くなるまで<あれはファウル>と訴え続けた。

60年前のあの名シーンを、私はリアルタイムのテレビでは見ていない。『月光仮面』は見た記憶があるのに・・・残念だ。