日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

安物で銭失い ただは高くつく

 

“故事ことわざ”では、今も通ずるものが多い。<安物買いの銭失い>。安いものは品質が落ち、買って得をしたように感じるが、すぐに壊れて使い物にならなくなるから、高い買い物をすることになる。『江戸いろはかるた』の一つだという。

<ただより高いものはない>との言葉もある。本来の意味合いとして、「ただの物は返礼に苦労したり無理な頼みごとをされ、かえって高い代償を払う」ということ。

人類学でいう“互酬性(ごしゅうせい)”は、もらい物には返礼をという習慣で、ほとんどの人類の文化にはそれがあるそうだ。無意識のうちに、返礼や(代価の)支払いが浮かび、人の自由を拘束する力が潜むとか。

 

 

今はインターネットのサイトなどで、“ただ”と思い使うサービスのアンケートなどがクセモノである。個人情報や趣味嗜好、政治信条などと企業や外国政府に利用されることもあるらしい。

個人情報の搾取や詐欺の横行で、正規のサイトへのログインに手間がかかることも多くなっている。偽装サイトの方がすんなり入れてストレスにならない、と騙されることの悪循環にならないか心配である。

本人確認が多すぎるというのは矛盾であり、今の時代での盲点でもありそうだ。早くつながりたいとの一心で疑う余裕も失せてしまう。こういうユーザー心理を、本家本元は考えているのだろうか。

ああしてはいけない、こうしてはいけない・・・との教訓を受けても、行政や警察の名を語られると、逆にだまされやすくなるような気もする。

 

 

ノンフィクション作家・佐瀬稔さんのエッセイ『彼らは支払いを拒否できない』では、元世界ヘビー級王者のジョージ・フォアマンのことが記された。メキシコ五輪の金メダリストで、その一つ前の東京五輪の優勝者であったジョー・フレージャーを破り、無敗のままプロの頂点も極めた。

フォアマンは順調に勝利を重ねたボクサーである。当時25歳で、プロ成績は40戦40勝(37KO)。1974年には連続KOを24戦に伸ばしてモハメド・アリとの対戦を迎えた。

かたや32歳(当時)のアリは3年7カ月のブランクを経て1970年に復帰。王座奪回に挑んだ1971年のフレージャー戦でプロ初ダウンと初黒星(判定負け)を喫し、1973年のケン・ノートン戦でも顎を砕かれて判定負け。アリのフットワークに衰えがみられ、この試合でキャリア初のKO負けを喫して引退に追い込まれるのでは・・と囁かれた。

アリが劇的な逆転KO勝利をおさめたこの試合は物凄く、開催地にちなみ『キンシャサの奇跡』と(今も)呼ばれる名勝負であった。

<勝者は敗者の思いを、いずれ支払うべき負債として背負わねばならない>。彼らは支払いを拒否できないということなのである。