日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

人の意識と思い込みについて

 

刑事コロンボ』の主役として知られる米国の名優ピーター・フォークさんが、亡くなる前にアルツハイマー症候群が進行し、自身がコロンボを演じたことも忘れてしまっていたという。

人間の意識や思い込みについて、考えることがよくある。思い込みについては、年齢に関係なくついてまわるものだ。

サザンオールスターズがデビューした時、私は彼らをコミックバンドだと思い込んでいた。デビューの『勝手にシンドバッド』という曲名からして、当時のヒット曲名を2つパクり、組合せたものだった。ステージではラテンタッチな演奏の中、桑田佳祐さんがジョギングパンツとランニングで駆け回っていた。

いとしのエリー』というバラードをヒットさせたが、それは冗談かシャレだろうと思った。今も私の頭の中で、サザンはコミックバンドであり続けている。

昨年大晦日、紅白の最後のシーンなど、まさしくその真骨頂を見た気分であった。

 

 

地理での高さは標高と呼ばれる。平均海水面の高さを基準とした標高は海抜で、任意の2地点をとった場合、両地点の標高の差を比高というらしい。

東京スカイツリーは、全高(尖塔高)634mである。東京の観光名所として長年君臨していた東京タワーの高さは、すっかりおなじみの333m。スカイツリーは東京タワーより301mも高くなっている。

日光東照宮周辺の標高は634mで、スカイツリーとほぼ同じ高さとのこと。一昨年の秋に行き、その看板を見ておどろいた。そこから、いろは坂を抜けて華厳の滝中禅寺湖へ向かった。中禅寺湖の水面標高は、その2倍である1269mなのだという。あの大きな湖がそんな高いところに浮かんでいることを知り、2度目のビックリであった。

山の上にあると思えば納得もできるが、スカイツリーの前に立ち、ツリー2本を積み上げた高さに、大きな湖が存在することは(頭で)結びつきにくい。

 

 

数年前にカルロス・クライバーさん指揮のコンサートを衛星放送で見た。その指揮のすばらしさで、瞬時に魅了されてしまった。

その表現力は、手話を越えた体話みたいである。すてきな笑顔とからだの動きで、演奏者たちを楽しく導く。そして、演奏を指示しながら自らも観客として楽しんでいるようにも感じた。指揮者は第1番目の観客なのかもしれない。

カルロス・クライバーさんの世界は格別であった。テレビ画面に映るその姿で、演奏者も観客も、そして(時空を超えて)視聴する者も一体化して戯れられる。

アンコールの定番『ラデツキー行進曲』では、観客に向かって拍手で参加させる。

そのテンポや強弱、指揮のうまさで、拍手が楽器へとなり名演奏をしているような気分にさせられる。まるで、催眠術にかかったように・・・だ。

<仏作って魂入れず>。立派な仏像を作っても、肝心な魂が入っていなければどうしようもない、という言葉である。魂を入れることに長けた人間もこの世に存在したらしい。