日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

ひょうひょうとしている説得力

 

女優・タレントが本業なのに、硬いテーマでもコメントはユニーク。TBS系『Nスタ』のホラン千秋さんである。昨年の半ばくらいから、平日の夕方にテレビを見る機会があれば、必ずチャンネルを合わせている。

天気担当の森田正光さんとのやり取りも楽しい。ホランさんは、森田さんに絶妙な突っこみを入れて解説を引き立てる。その飄々(ひょうひょう)としたやりとりが大好きだ。

<作文の秘訣を一言で言えば、自分にしか書けないことを、だれにでもわかる文章で書くということだけなんですね>。井上ひさしさんの言葉である。

<むずかしいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを面白く>。一人ひと り少しずつ違う“その違うところ”を平明に書く。

フィールド・オブ・ドリームス』、『マディソン郡の橋』などと、(私の)こころを揺さぶられる映画は淡々としている演出作品が多い。

 

 

テレビというメディアには“不安定さ”が乗せやすく、映画というメディアだと“安定さ”を求められるようだ。

「細かな粒子を電波で送りたくさんの粒子で1枚の画像を構成するテレビ」と「1枚1枚フィルムに完成された画像をコマ送りする映画」では、メディアの質の違いがあるという。

テレビはクールメディアで、型にはまったものよりハプニング性への反応が大きい。ドッキリカメラみたいになにが起こるかわからないハプニングがウケる。ホットメディアである映画は、しっかりした骨組みを必要とする。そのための「段取り」ももちろん大事になるだろう。

テレビに適する映像は、自宅の窓から外をながめる光景のような感覚だ。窓に相当するのがテレビ画面である。その出演者は映画みたいな美男美女である必要はない。

 

 

<俳優とは、迷っている時、悩んでいるときがいい>。山田洋次監督は言った。

『幸せの黄色いハンカチ』の制作では、主演の高倉健さんが東映のヤクザ映画からの転身の時期であった。助演で俳優デビューの武田鉄矢さんは、フォーク活動の行き詰まりで田舎に帰ろうかと思っていた頃だとか。出演者の迷い、悩みのエネルギーが見事に作品へ集結したようだ。

古今東西、勧善懲悪モノの映画やドラマがウケるのも、共通の感情に引き込みやすいからなのだろう。

今は観たいものを待っているのではなく、観たいとき自由に視聴ができる便利な時代になっている。インターネット配信の映画にいたっては、映画館で観られない名作を家庭で好きな時間にゆっくり楽しむことができる。

自分で選ぶよりも、ふつうなら選ばないような名作と出会える機会も多くなっている。そういうときのお得感は大きくて、心の中でカッツポーズをとりなから飄々と視聴してしまう。