日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

鏡を見なければ正せぬ我が身

 

平成を言い表すキーワードで、良く言えば“成熟”、悪く言えば“停滞”が当てはまりそうである。経済は人の営みといわれる。人口が増えないことで、低迷するのはしかたない。人口構造でも高齢化が進んでいる。

IT(情報技術)が本格的に普及し始めたのが1988~89年。ICT(情報通信技術)ネットワークも急速に広がり、仕事の面で生産性、暮らしの面ではコミュニケーションが大きく進化している。ITが人口減を補い、暮らしは多様化で高度化した。

アマゾンなどのネット通販、ネットバンキングも暮らしを大きく変えている。2010年以降はスマートフォンにより、暮らしはより便利になっている。それまでは地図を持ち歩き目的地にたどり着いたが、今は検索しながら行ける。

 

 

昭和の高度経済成長期には、多くの国民が一生懸命働けば明日は良くなると考え、テレビ、エアコン、マイカーなどとモノの豊かさを追い求めた。“これが幸せ”と納得する規準を軸に、生き方を具体的に決めることができた。時代の流れに沿った生き方で“幸せ”が保証され、仕事も終身雇用が当たり前。

(昭和の基準が揺らぎ)平成は、生きづらい時代になった。終身雇用の慣行は時代の流れではなくなり、定年まで働き続けても幸せは保証されない。“やりがい”を求めて転職する自由度は増したが、望む仕事へと就けるかどうかはあやふやである。

今は用いられることのない季語に「越冬資金」がある。冬のボーナスのことらしい。

<職安で 働かせろよ この盛況>。古いサラリーマン川柳である。派遣契約を打ち切られ、住む家もなくす人々が日々生まれ、“越冬”の文字が生々しい現実として感じられるのも、平成の時代のことである。

 

 

<鏡屋の前に来て ふと驚きぬ 見すぼらしげに歩むものかも>。石川啄木さんの歌には、読む人に「そういえば自分も・・・」と思わさせる作品が多い。この一首もそうだろう。能天気に暮らす条件とは、身近に鏡がないことなのかも知れない。

エレベーター奥の鏡や終電の車窓に自分を見つけると、人相の悪さにドキリとすることがある。それなのに普段は、ひとの人相に(心の中で)あれこれ文句をつけている。

朝鮮戦争で日本は特需に沸き、「ガチャ万」という言葉が生まれたらしい。工場の機械をガチャと動かせば1万円が儲かると。思わずバブル景気を連想してしまう。

ドイツ文学者・高橋義孝さんは、親しい作家・内田百閒さんに蔵出しの名酒を一升贈ったという。その後、百閒さんに会ったときひどく怒られた。「迷惑します」と。

その理由として、ああいうおいしいお酒を頂戴したあとでは、ふだん飲んでいるお酒が飲めなくなるから・・・なのだ。考えてみれば、人生を彩るような成功も、いただき物の“おいしいお酒”によく似ているような気がしてくる。