日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

紙で読んでいた本と新聞たち

 

「春隣」という語は、俳句で冬の季語になるとのこと。大寒を過ぎ、立春を迎える直前のころらしい。ちょうど今の時期を指すようだ。「夜明け前がいちばん暗く、春の手前がいちばん寒い」と。なにかで読んだ記憶がある。

<ほんとうに字引きを読む人は、字そのもの、語そのものが面白くて、読むのである>。芥川龍之介さんの随筆『辞書を読む』にあった。

それは...いわば、植物学者が温室へはいったような心もちで、字引きの中を散歩すると思えば間違いない・・・のだとも。そうして珍しい語に逢着(ほうちゃく)すると、子どもが見たことのない花を見つけでもしたように嬉しがる、という。

 

 

<ほんはほんとうは しろいかみのままでいたかった もっとほんとのことをいうと みどりのはのしげるきのままでいたかった>。

谷川俊太郎さんの詩集『すき』にある『ほん』という詩である。そのエンディングに、<ほんはほんでいることが ほんのすこしうれしくなった>とある。

もう本にされてしまったのだから過去は忘れようと、わが身に印刷された活字を読んでみたことで、本とは人の気持ちを伝えるもの・・・ということを知った。

 

 

一昨年、ニュースをインターネットで読む人の割合が、新聞の朝刊を初めて上回ったという。ネットは71.4%、朝刊68.5%で、差は3%弱だった。そのときは新聞も善戦しているではないか、との感想であった。でも、今はもっと差が開いていることだろうが。

作家・向田邦子さんの随筆『新聞紙』で、新聞は3つに大別できるとあった。

配達されて、まだ読んでいないもの。ざっと目を通しただけで、すぐ手を伸ばせるところに置いておくもの。これらはシンブンである。それも日付が変わると、新聞は“新聞紙(シ)”になり、1週間も過ぎればば“シンブンガミ”になってしまう。

紙の“シンブンガミ”は案外お世話になっている。折りたたんで野菜を包んだり、換気扇の掃除などで重宝しているのだ。さて、ネットの中の“シンブンガミ”はどうなっているのか。