日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

どのくらい使いどんな気分が

 

電話のない家ではご近所の電話番号を親類や知人に教えて、かかってくるたびに「電話ですよ」と取り次いでもらう。昭和の中頃、今では考えられないようなのどかで温かい電話の取り持つ人づき合いがあった。

各家庭に固定電話が定着後、重さ3キロの肩掛け式の携帯電話が登場して34年。1年前の統計では、携帯電話契約数が1億7009万件。PHSは260万件だった。

スマートフォンが一般化して、使用量に応じたプランが様々に設定された。本来の電話機能を超えて“使用”を意識する場面が広がることになる。スマホで本を読んだり、映画を見たり、ゲームをしたりと、モノを持たずに楽しめることが増えた。

  

 

「顔ハメ」という言葉があるらしい。ご当地キャラやゆかりの人物の顔の部分がくりぬかれていて、そこから自分の顔をのぞかせては、写真に納まる。観光地やイベント会場などで見かけるあの看板のことだ。

最近は種類や設置される場所がかなり増え、そこでも同行の人がスマホで撮影するシーンをよく見かける。わざわざカメラを持ち歩かなくとも、スマホで写真も動画もかんたんに撮影ができてしまう。

さて、“大きな顔をした人”といえば、少々付き合いにくい人を想像するが、前後が入れ替わり“顔の大きな人”となれば、化粧品業界で歓迎されたという。

ファンデーションなら顔の面積が広いほど量を使ってくれる。成績のいい美容部員は顔の大きなお客を抱えているもの・・・だったようだ。商材をたっぷりと使ってもらうことが、ライバル会社との競争であった。

今は商売も様変わりをして、在庫を抱えすぎず効率よく市場に回していくというビジネスの考え方になっている。選別の基準は「どのくらい使うか」、そして「使うことによってどんな気分が得られるか」だという。今の時代、モノを手に入れるより、使う時間や場所を確保する方が難しいのだ。

  

 

“所有”から“使用”へとモノの価値が転換しているのはよくわかる。CDが売れないから音楽は聴かれていないか、と思えばそうでもない。レンタルの必要もなく、配信やダウンロードでコトはすんでしまう。

かつて売り手優位だった市場は、今後ますます買い手が優位に立つ。価値を感じる企画に個人が出資するクラウドファンディングや複数の人でモノを持ち合うシェアリングなどの新しいサービスもウケる。利用者が体験を共有することで広がり、体験して満足を得る消費が増えているのだ。

その昔、家に小包みが届くとワクワクした。小包の紐は解かれることを想定し、ほどきやすいように加減して結ぶこともできる。今は、ネット注文の商品が頻繁に届く。ダンボールにテープを貼り付けたその姿に、小包の紐のような情緒は感じられないが、必要なモノがかんたんに届く感謝を忘れていない。

だから・・・こそ、<余分なモノはストックしなくてもすむ>という気分にさせられる。