日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

老舗ブランド・情報・空白地

 

国や企業などの大組織が中心だった20世紀型の情報の流れを変えたもの。平成の30年において、欠かせないのはインターネットの出現であろう。

それはかつてないパワーを個人に与え、経済のあり方や社会にも揺さぶりをかける。1995年、ネット接続が簡単なOS(基本ソフト)を米マイクロソフトが売り出したことで、ネット大衆化は始まった。

調べ物はググり、ワンクリックで買い物はアマゾン・・・などと。便利なサービスは人びとをネットの世界へといざなった。

情報の受け手だった個人も情報の発信側に回る。SNS(交流サイト)やブログを表現の場に、ネット空間を膨らませていく。

 

 

私もお世話になっているネットフリックスは、第三者によるテレビや映画のライセンスを取得し、インターネットでの有料配信で成長している。そこでの利益をもとに自社制作にも力を入れてきた。

高いブランド作品を持つ老舗のハリウッド企業は、有力な俳優や監督を抱え込むことに力を注いだ。しかし、創造性に頼りがちな作り手主導の発想は当たりはずれが大きい。

コンテンツ産業特有の曖昧さを、ネットフリックスはデータで補った。動画を“流す”ことで新市場を生み、“つくる”ことで放送局や映画会社に代わる位置を確保することになる。

作品は誰がどこで評価するか分からない。配信直後にとどまらず、AIを活用して時間をかけながら何が求められているかを把握し続ける。どの作品をどの媒体で見たかなど100超の項目を基に、個々の会員の嗜好を把握するのだという。

本社があるシリコンバレーに分析チームを抱え、1億人分の視聴データから法則性や将来を予測して、ユーザーに作品を売り込んでいるのだ。

 

 

今の日本では、1日に1店舗の割合で街中から本屋が消えているという。本離れや電子書籍の普及などで、書店を取り巻く経営環境は厳しさを増し、閉店を余儀なくされる店が相次ぎ、全国で書店の空白地が拡大している。

読書が大好きだった自分の体験で、読まなくなった要因を思えばネットだった。インターネット以前のパソコン通信の頃から“読む興味”がそちらへ移行していた。とはいえ、読書で得たものは計り知れない。

書店の空白地で奮闘している本屋さんもいるという。軽ワゴン車に児童書など約500冊を積んだ“移動書店”や、インターネット古書店を営みながらマイクロバスに約1000冊の本を積んだ“ブックバス”などだ。

電子書籍で内容をかんたんに読める今、本の手触りを届ける本屋さんがいてくれる。それは、映画館で映画を観るような感覚に似ているようなものなのだろうか。私が最後に映画館へ行ったのはいつだったのか。たしか、観た作品は『シン・ゴジラ』のような・・・。