日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

隆盛を極めたフィルムの写真

 

2018年に日本を訪れた外国人旅行者が、3000万人を初めて超えたらしい。ちなみに、前年は2869万人とのこと。初めて1000万人を超えたのが2013年。わずか5年間でほぼ3倍に増えた計算だ。

政府は、訪日客数を2020年に4000万人、2030年に6000万人へ引き上げる目標を掲げた。追い風は、やはり大型イベントなのだろう。2020年に東京五輪、2025年は大阪で国際博覧会(万博)が開かれる。

1970年に日本で最初に開催された大阪万博(EXPO'70)は、日本の高度経済成長をシンボライズする一大イベントであった。そして、このイベントをきっかけに需要が増したのはカラーのフィルム写真。

1990年代後半、ロールフィルムの出荷本数は4億本を超え、1997年~1998年の1年間の統計が、日本国内で最多の約4億8283万本を出荷した。

多くの顧客が撮り終えたフィルムを、カラー写真ラボが集める量は凄かった。

 

 

今、デジタルカメラでロケーションのいい所やイベント等で撮影すると、お気楽に300~400枚くらい撮ってしまう。

フィルム写真全盛時の“フィルム代”や“現像&焼き付け”の料金に換算してみる。仮に360枚で写真専門店へ注文する場合、2万3千6百円くらい(フィルム代金込み)になった。デジタルカメラなら、プリント保存をしなければ、それらがすべて無料だ。

フィルム写真の関連業者は、高額な料金をカメラユーザーから得て潤ってきた業界ともいえる。それも、デジタルカメラの普及で100年の歴史に幕を閉じることになる。

1995年に、民生用デジタルカメラ“CASIO QV-10”が登場して話題になった。デジタルカメラの存在と利便性を広く一般に認知させた製品である。とはいえ、“QV-10”の画素数は25万画素。プリントに耐えられるシロモノではなく、Lサイズも満足に焼けないだろうと楽観視した。

素数を大きくしても、出たばかりのWindows95機のスペックは脆弱すぎた。DOSの時代、名作ソフトといわれたVZエディタの容量は、今の写真1枚以下である。当時のパソコンで扱うには大容量すぎる。

やがてそれも、パソコンのスペックの進歩、メモリや周辺機器の低価格化で補えてしまうことになるのであったが・・・。

 

 

その頃、ネット仲間ともオフ会でさんざん飲み歩いた。そこで危機感を感じた。

ある夜のオフ会後、東京駅で大阪の仲間をお見送り。もう1軒カラオケを楽しんで神奈川の自宅へ戻った。

家でパソコンを開いたら、大阪の仲間がオフ会の写真をホームページにアップしていた。フィルム写真ではこういう芸当がまずできない。

デジタルへの移行時期は、デジタル体験があるのとないのでは温度差が大きかった。フィルム写真の業界内ではデジタルを理解できない者がほとんどで、(インターネットで)瞬時に写真のやりとりをしている我々の話が通じない。

フィルム販売が頂点だった1998年に、20年お世話になったその業界を去った。

全盛期の10年後である2008年には、隆盛を極めたフィルムも10分の1近くの約5583万本にまで落ち込んだ。