日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

今このときがまさに晩秋の旬

 

時を超越して伝えられる文字の情報力は大きい。<ゆとりでしょ?そう言うあなたはバブルでしょ?>。昨年のサラリーマン川柳の入選作品で、お気に入りの句である。

<サラリーマンという仕事はありません>。大きな文字でバブル時代の新聞に掲載されたらしい。風変わりな会社説明会の広告だった。

このキャッチコピーは糸井重里さんの手によるもので、1987年に西武セゾングループ(当時)からの依頼だ。糸井さんいわく、「給与で生活することじたいは“仕事”じゃない。仕事ってのは、もっと具体的なもの・・だと思うんだ」。

 

 

タツを使う時期にはよくある。テレビをつけっぱなしにして眠ってしまうことだ。長年お馴染みだったアナログテレビでは、真夜中に目を覚ますと、テレビ画面にザーッと“砂嵐”が映っていた。正式な呼び名は「スノーノイズ」というらしいが。

わが家では今、居眠りをみこして4時間のオフタイマーを設定している。もし、つけっぱなしの状態でも、デジタル放送の場合は、受信レベルが数値化されていて、一定の数字以下になると何も映らないという。

まさに1(オン)か0(オフ)のデジタル世界であり、その画面に曖昧は許されない。ダメと判定した瞬間にすべてを否定し断罪されてしまう。まるで、味気ない世相を反映しているかの如くに・・である。

 

 

<一年の営みを終えた幹や枝は裸になり、ひっそりとながい冬の眠りにはいろうとしている・・・晩秋という季節のしずかな美しさはかくべつだな>。

山本周五郎さんの短編『晩秋』の中にある老いた武士の言葉である。

<逆さまに行かぬ年月よ。老いは、えのがれぬわざなり>。こちらは、源氏物語後半[若菜 下]にある、光源氏のことばだという。光源氏は、紫式部の物語『源氏物語』の主人公。

年をとるというのは、残された時間が減ること。残された時間というのは、(何かを)残すことのできる生きた証しの時間か。また、人生は“生きた時間”の目撃でもありそうだ。

表現は人それぞれでも、何かを目撃して何かを残す。あとは自身の納得や満足ということもあろう。年末が近づくと、ついこんなことが頭に浮かんでくる。