日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

無言で取り憑かれて睨めっこ

 

昔を想像して“もし”こうだったら、今はどう変わっていただろうか。そういう状況はいくつもあるはずだ。歴史を変える「紙一重」を考えることは楽しい。

いまも恐竜は繁栄していたかも・・・という説があるらしい。6600万年前、巨大隕石の衝突が恐竜を絶滅に追い込んだとされている。メキシコ・ユカタン半島に、直径約10キロ・メートルもの巨大隕石が衝突した痕跡もあるらしい。

その隕石衝突で地面が燃えてすすが舞い上がり、太陽光を遮り気温が下がったとの学説がある。その環境変化で恐竜は絶滅したというが、具体的な条件の検討では、もし数百キロ・メートルずれていたらどうなっていたのかわからないという。

 

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当時の地球上の気温は約16~約18度。それで、(月平均)8~11度も気温が下がると、食物連鎖が崩れるなどの要因で、恐竜は死に絶えたとされている。

しかし、この条件を満たすほどの大量のすすが生じるような成分の地層があるのは、地球上の約13%程度であるようだ。もし、衝突地点が数百~約1000キロ・メートルずれていたら、<恐竜を絶滅させてしまう環境変化は起きなかった>との推論になるらしい。

悠久の時を経て恐竜と出会うこともなく、人類が現れることになる。

昔、<旅は憂いものつらいもの>だったといわれる。英語の“トラベル”と“トラブル”は語源が違えど、元の意味はどちらも苦労や困難が伴うものらしい。

日本で“旅行”という新語が広まったのは、交通機関が発達し宿泊施設が整備されてからだといわれる。「楽しみの為に旅行するやうになつたのは、全く新文化の御陰である」。民俗学者柳田国男さんは、昭和2年の講演でこう述べた。

 

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<汽車に乗れば必ず2人か3人の少年が「雑誌を手にして、物識り貌(がお)に之(これ)を朗誦(ろうしょう)するを見る」>。当時の教育雑誌に残る記述である。人々が音読をする声で、明治期の列車の中はとてもにぎやかだったようだ。

待合室でも、大人や子どもが音読する光景は、特異なことではなかったらしい。もともと、読書とは字の読める人が周囲に読んで聞かせることであったので、そんな習慣の名残りだった。しかし、音読はやがて黙読に主役の座を譲ることになるのであるが。

音読はある種の“解凍作業”のようなものともいわれる。音読に慣れた世代の作家が書いた文章なら、とくに音読にふさわしい味わいが醸し出される。それはあたかも、料理を温め直して、おいしくいただくような感覚なのだ。

もし、今の電車内で音読をする者がいたら、周りからひんしゅくを買うことだろう。逆に、明治の少年がタイムスリップして、<なにも語らず取り憑かれたようにスマホとにらめっこしている>大部分の乗客を見たら、きっと不気味に思うはず・・・だ。

 

 

今週のお題「紅葉」