日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

拝啓 僕はとても残念でした♪

 

加川良さんと最初の出会いはこの歌詞であった。<拝啓 僕はとても残念でした あの日 君がホワイトジーンでなかった事が・・・>。男子が女子へ書いた微笑ましい手紙が、おもしろいほどに歌となっていた。

吉田拓郎さんのオリジナル・アルバム『元気です』(1972年7月)は、拓郎さんのアルバムとして最高のセールスを記録。そのA面の3曲目にあるのが『加川良の手紙』である。

『元気です』は、オリコン・アルバムチャートで14週連続(通算15週)1位を獲得した。アルバムの売れない時代に、1ヶ月間で40万枚を売り上げるというシングル並みのセールスを記録。アルバム・セールス時代の先鞭をつけた名盤である。

 

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加川良さんと2度目の出会いは『岡林信康コンサート』という2枚組のアルバムである。1970年12月のライブ盤で、岡林さんの名人芸ともいえるトークに、ゲスト陣も豪華であった。

弾き語りの前半には、ゲストの高田渡さんが『生活の柄』を歌い、続けて加川良さんが『教訓1』を歌った。

コンサート後半では、“はっぴいえんど”をバックに岡林さんがメッセージを織り込んだロックで盛り上げた。はっぴいえんどのメンバーといえば、大瀧詠一さん、松本隆さん、細野晴臣さん、鈴木茂さんである。

このふたつのアルバムは今でも自分にとって貴重品である。とはいえ、当時のレコード盤は手元にないが、音楽配信で聴くことができる。そして、どちらのアルバムにも加川良さんが絡んでいるからうれしい。

さて、3度目では実物の加川良さんとの出会いがあった。東由多加さんによる(1968年設立の)日本のロックミュージカル劇団・東京キッドブラザーズの舞台『十月は黄昏の国』(1975年6月)で、加川良さんが主役を演じたからだ。

 

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主演、加川良さん。音楽は小椋佳さん。脚本は東さんである。そして、その後に看板俳優となる柴田恭平さんと坪田直子さんのデビュー作品でもあった。

加川さんは、青春をテーマにした5枚の組写真を依頼されるカメラマン役である。彼は、フォーク歌手や現代の若者たちをスタジオに集め写真を撮ろうとする。そのスタジオには恋人も呼んでいる。

カメラマン自身の(たそがれていく)青春の一コマも、彼女を通して撮りたかったのだ。夏の激しい若さから遠ざかっていく自分は、“秋のとまどい”を強く感じている。過ぎ去りし時間の追憶にのめり込むカメラマンに、その恋人は絶望する。

昇る太陽よりも夕陽が美しく見える。その光と影の中で立ちすくむその姿。クライマックスシーンでは、演じる加川さんと主人公のカメラマンが一体化する。

このお芝居を最前列で観た。すぐ目の前に、目力のある加川さんがいる。

いつか、生の歌声を聴くチャンスがあるだろうと、時を過ごしたままであったが、惜しくも昨春に加川良さんは69歳で永眠された。拝啓 僕はとても・・・。