日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

芸ある人の真髄を感じた瞬間

 

<30代、40代と、若いミュージシャンとともに野外コンサートを続けてきました。でも、自分のアーティストとしての力量はだんだん風化していく>。シンガー・ソングライター南こうせつさんが以前、新聞のエッセイに書いていた。

<つまり人気がなくなってくる。我々の場合、如実にチケットの売れ行きでわかり、2000人の会場で売れるチケットが1500人になり、1000人になる>のだと。

ファンであるフォーク少年、少女たちは家庭を持ち、仕事も忙しくなりコンサートに行く時間も余裕もない。<こんなことで、ぼくは負けない。いいアレンジで、いい選曲で、来年は会場をいっぱいにしてやる>とチャレンジする。

ところが翌年もまた観客が減っている。これはステージに立った人でないとわからない苦しみなのだという。

 

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母に捧げるバラード』のヒットから2年くらいのとき、海援隊のコンサート会場の前を通りかかり、懐かしさで当日券を購入。中に入ってみるとホール内はガラガラだった。開演間近になったが、約千人収容の会場はひっそりしていた。

幕が上がり、同時に演奏が始まるはずが、いきなり武田鉄矢さんのトークであった。

<皆さん、今日はものすごく空いております。だから、どんどん前に詰めて下さい。遠慮なさらずに・・・>。移動した私の席は、中央の前から2、3列目であった。

数日前、沢田研二さんが開演間近のライブをドタキャンしたと騒がれた。沢田さんは会見で<僕自身にさいたまスーパーアリーナでライブをやる実力がなかった>と詫びた。

9千人と聞いていた観客数が、実際には7千人しかいなかったことが原因らしい。<客席がスカスカの状態でやるのは酷。僕にも意地がある>と。

さいたまスーパ―アリーナは日本武道館や横浜アリーナの収容人数をかなり上回る。7千人といえばすごい数なのに、ご本人もファンの方たちもやりきれない気持ちだったはず。

 

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一昨日、梅沢富美男さんと研ナオコさんの舞台を観た。富美男さんは大衆演劇「梅沢劇団」第3代座長で、初舞台が1歳7ヶ月だという。

1975年以降に前座長だった兄の勧めで女形に転身。独学で学んだ女形の美しさが大評判となり、「下町の玉三郎」と呼ばれ一座のスターになった。

2000年代以降には、バラエティー番組やドラマなどの出演が増えたが、自分の本業は大衆演劇というスタンスをもち続け、現在でも劇団の仕事を優先する。

女形の舞踊バラエティーショーは見事だった。絢爛豪華な舞台演出と美しい衣装、そしてすばらしい踊りを堪能させてもらった。

テレビの人気バラエティ『プレバト!!』で俳人・夏井いつき先生に毒舌を吐いたりする人と同じ人物にはとうてい思えない。

今月の初めに観たコロッケさんと、梅沢さん&ナオコさんは2千人前後の会場であったが、どちらも昼と夜の部で超満員。観客目線でも、満員の中で笑い転げたり、拍手をするのはとても気分がいい。

 

 

今週のお題「好きな街」