日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

和ませることに長けた立役者

 

急速な戦後復興を続ける日本を、アメリカは“驚き"の目でみたという。やがてそれは“警戒"、“脅威"へと変わっていった。

日本製品流入は目を見張るものがあった。ナショナル(現パナソニック)、ソニー、東芝などの電化製品。トヨタ、日産、ホンダなどの自動車もどんどん目にするようになる。

1950年代後半から日本は高度成長を続け、「いざなぎ景気」の中で60年代後半には西ドイツ(当時)を抜き、アメリカに次ぐ世界第2の経済大国となった。

当時、日本は外貨不足のため、好景気が続くと輸入が増え外貨が尽きてしまう。それを避けるため、高度成長下でも金融を引き締めて、作為的に景気減速局面を作り出す必要があった。反面、ほどよいところで金融を緩めると、労働力や貯蓄、技術力がある日本経済は敏感に反応し、すぐ好況に反転した。なんという余裕であろうか。

 

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<日本に 長寿はあるが 老後なし>(猫 猫 山さん)。よみうり川柳の投稿作品にあった。今の日本の“余裕の無さ"を言い当てている。

スポーツの世界にピーキングという言葉がある。本番で調子がピークに達するように調整することである。若々しい体質の日本経済は、マクロ経済政策がうまく効いていた。日本はあらゆるところで元気があった。

幇間は「たいこもち」とも称される。踊りや客との軽妙なおしゃべりで宴席を和ませる男性の芸者である。滑稽でしゃれた座敷芸を披露して、女性の芸者とともに出向き、芸や会話で客との“間"を“幇助"するのが役目なのだ。今やその数は少なくなっている。

<我々は出過ぎてもいけないし、くどすぎてもいけない。お客さまが心地よいと感じる加減が大切。芸は、洒脱でないといけません>とのこと。

良き時代には、日本の財政会にも“和ませることに長けた立役者"が多くいたはず。

 

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1年前の今頃、北朝鮮のミサイル問題があらゆるメディアで報道されていた。今はほとんど聞かれない。韓国の文在寅大統領は“和ませることに長けた立役者"なのだろう。

ミサイル騒ぎと同時期に、また「年金の支給漏れ」が明らかになった。その規模は過去最大の10万人分で、支給漏れの総額は598億円にものぼる。

ピークの日本では“今の多くの高齢者たち"が若者だった。給料から天引きの年金も今と比べ物にならない金額が集まったはず。莫大な“それ"の使われ方は不透明で、当時もまともな計算ができていたのかどうか疑問である。

日本年金機構(東京)の対応も、過去からつながる怠惰な体質を思わせる。設けた相談受け付けの専用ダイヤルに、初日から4万9790件の着信があったが、対応の電話器はたったの10台だった。実際に電話がつながったのは591件だけ。

4日間で9万件を超える電話が殺到したが、できた対応は5千件。危機意識も甘く、電話料金さえも国民払いだ。

この国をきちんと仕切れる、(まともな)政治家の登場を、切に願うばかりである。