日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

ヒマな時間と未来の時刻表は

 

古今東西、世の中にはすごい人がいる。

SF作家・星新一さんの父、(実業家の)一さんはアメリカで発明王エジソンに会った。大正時代である。野口英世博士の紹介という。

<利益よりも、私は人類のために新しい富、新しい道具、新しい産業を創造しようとして働いている>。エジソンは、熱く語った。そして帰り際に、エジソンが自分の写真にサインをして、<成功しない人があるとすれば、それは努力と思考をおこたるからである>と書いて渡した。

「谷川がダイヤモンドなら、私は石ころです」。ベテランの芹沢博文九段が伝説の名棋士升田幸三さんに嘆いた。将棋の谷川浩司九段が21歳で名人位に就いた頃だ。

<バカを言うな。石ころには、いいのもある。お前はコンクリのかけらだ>。升田さんの雷が落ちた。

最高位・九段で超一流の棋士でさえコンクリ呼ばわりされる。“天才”や“神童”のひしめく恐ろしい世界である。将棋界とは・・・。

 

2201

 

税関に勤めながら仕事の合間に描いていた“日曜画家”の彼は、40歳をすぎて画壇にデビューした。アンリ・ルソーである。酷評ばかりが待ち受けていた。近代美術史に異彩を放つ存在になることを、夢にも批評家たちは思わなかった。

「人物をなぐり描きで描こうとした十歳の子供の作品だ」との評すら投げかけられた。

見るたび引き込まれるルソーの奔放さは日曜画家ゆえに生まれた。そのことに気付く者はほとんどいなかったのだ。

消費者の自由な時間を奪い合う時代になると、将来を予想したのは任天堂の社長だった故・岩田聡さんである。

生まれながらのゲーマーで、開発者でもあった岩田さんは、かなり前から、“可処分時間”という発想で経営を語っていた。

友だちとの旅行や恋人とのデート。また、家族と過ごす時間など。これらが手ごわい“競争相手”になると認識していた。

<ヒマな時間 どう過ごす?>。もっと魅力的な商品を作ろう、という趣旨の源がこれであった。

 

2202

 

<昭和28年4月、東京大学文学部入学>。まずはここから始まった。作家・井上ひさしさんは高校時代、自分の未来を時刻表に綴ったらしい。

そして、<習作として書いた脚本が木下恵介監督に認められ、映画化される。イタリア留学から戻って映画会社に入社、ただちに監督となる>。まだまだ続く。<昭和36年、若尾文子さんと結婚。新居を数寄屋橋に構える>のだと。

時刻表は1行目の進学でつまずき、書き直しを余儀なくされた。

19歳で『花ざかりの森』を刊行した三島由紀夫さんのような早咲きの名花もあれば、『西郷札』で42歳の時、世に出た松本清張さんのような遅咲きの大輪もある。

青春とはいつの世も、“元気はつらつ”と“しょげかえる時”の狭間で、時刻表を書いては消し、消しては書く作業をしているようなもの。

ちなみに、青春には年齢制限もいらないはずだ。