「俺たちシリーズ」をご存知か
松田優作さんと中村雅俊さんは刑事ドラマ『俺たちの勲章』(1975年4月~1975年9月)で共演している。この作品は、出目昌信さん、降旗康男さん、斎藤光正さんらの錚々たる監督たちが各話を担当し、鎌田敏夫さんが脚本を書いた。
雅俊さんによれば、優作さんはアドリブの芝居が多かったとのこと。凄く芝居のバリエーションのある優作さんのアドリブに対して、いくつも答えがある中から雅俊さんが選んで芝居をしていく。
私の地元テレビ局「TVK」で、先週まで『俺たちの勲章』を再放送していて、感慨深く観入っていたところであった。
メインテーマの『あヽ青春』(インストゥルメンタル)は吉田拓郎さんの曲であり、第6話から使用された挿入歌『いつか街で会ったなら』も拓郎さんの曲で雅俊さんが歌った。
雅俊さんは、拓郎さんに音楽を頼めないかと、プロデューサーに依頼した縁であったが、優作さんも拓郎さんファンであったようだ。
優作さんは文学座の12期で、雅俊さんが13期。マネージャーも一緒で、どちらも岡田晋吉さんの作品で世に出たなどと、共通項は多い。『俺たちの勲章』では優作さんのキレのいい演技が印象強かったが、続く『俺たちの旅』(1975年10月~1976年10月)では主演の雅俊さんが等身大の演技で本領を発揮。
『俺たちの旅』でも、斎藤光正さん、出目昌伸さん、恩地日出夫さんらが監督を担当。脚本も鎌田敏夫さんを中心に名作が描かれた。
オープニング曲『俺たちの旅』とエンディング『ただお前がいい』を小椋佳さんが作詞・作曲をし、中村雅俊さんの歌が大ヒットした。
当初予定されていた放映期間は2クール(半年)だったが、高視聴率を獲得し続けたことで放映期間が4クール(1年)に延長された。
『俺たちの旅』の人気を引き継ぎ登場したのは『俺たちの朝』(1976年10月~1977年11月)である。『太陽にほえろ!』を殉職卒業した勝野洋さん初の主演作である。こちらも1クールの予定だったが全48話一年間のロングランになった。
昭和50年代、神奈川県鎌倉のイメージに強い影響をもたらしたドラマとしても有名だ。舞台の古都・鎌倉が見直され、観光名所となる。今では、何度もドラマに使われる極楽寺駅(江ノ電)も、このドラマが発端である。
1960年代に自動車が大衆化され、江ノ島電鉄は利用者が激減。廃線寸前にまで追い込まれていたが、『俺たちの朝』のヒットで若者たちが押しかけた。
この作品のテーマ曲は、“作詞:谷川俊太郎 さん/ 作曲:小室等さん”で、松崎しげるさんが囁くように歌っている。
さて、「俺たちシリーズ」の最終作となるのが、『俺たちの祭』である。私には一番印象が薄い作品であるが、なぜか気になる。雅俊さんの主題歌『俺たちの祭』(作詞・作曲:小椋佳さん)も好きだ。
人気絶頂期を迎え、1年ぶりにこの枠に戻る雅俊さんの主演だけに期待が寄せられた。しかし、前2作に比べてコメディの部分が少なくなり、苦悩や挫折、長い回想シーンなど重い雰囲気の場面が多いなどと、視聴率的に苦戦した。
前2作と同様に1年間の放送も想定されていたが、1978年4月に全23話をもって終了した。当時の私も『俺たちの旅』に比べて面白みを感じなかったが、今になってもう一度観たくてたまらない。
参考:Wikipedia