AIに告白された時の反応は
人はだれでも、ほめられて悪い気はしないものだ。しかし、歳を重ねれば重ねるほどに、ほめられる機会が確実に減っていく。叱られてばかりでは自己肯定感もどんどん低くなる一方だろう。
ネット内では、ネガティブな言葉が飛び交うこともあるだろうし、現実の社会も昔よりとげとげしい時代である。
ほめるということは、人、モノ、出来事の価値を発見することだという。そして、あら探しをやめて、プラスの面を探して光を当てることが必要だ。
目の前の小さな価値を見つけることも大切で、人の短所も前向きにとらえる。自分が正しいと思うことに照らし合わせた“ダメだし”はやめて、物事を多面的にとらえて「いいね!」の評価を増やしたい。
自分で勝手に思い込んでいるだけであるが、呑むと私は“ほめ上戸”になり、素面のときよりマメになる。普段、嫌だと思っていた人でもいっしょに呑めば、その人の良いところが前面に見えてくるのである。
かなり前であるが、私と同タイプの友人と毎日のように呑み歩いたことがある。“ほめ上戸”どうしが盛り上がって呑むとどういうことになるのか。答えはかんたん。“ほめ殺し”のせめぎ合いになっていつまでも終わらない。
仕事でふたりが素面で会うときは、お互いが別人格者なのではないか、と思えることがよくあった。もちろん、仕事がなければ、すぐに居酒屋へ直行であったが。
普段でも、歯の浮くようなお世辞は必要ないが、褒め言葉には堪能でありたいと思う。“いい加減”という言葉も“良い加減”なのだと解釈すれば、腹を立てずにすみそうだ。
人生もいいことばかりではない。マイナス結果の出るのが当たり前と思っていれば、どんな結果でも平静に受け止められる。ゼロであっても素直に喜べるし、プラスなら幸福気分になれる。
映画評論家・淀川長治さんは、生前にテレビなどでよくおっしゃっていた。どんなつまらない映画でも一ヶ所はいいところや教えられることが必ずある・・と。たしかに、淀川さんから映画作品の悪口を聞いた記憶がまったくない。
<なぜか嫌いな人ほど、意外な長所が見つかる>という法則もあるらしい。酔ったときの自分がそんな感覚なのでよくわかる。
ほめ上手のロボットはないだろうか、と興味を持ったこともある。
最近、友人からのメールにおもしろいことが書かれていた。AIスピーカーに、自分のことを好き? と聞いたそうな。「もちろんです」との答えが返ってきたという。
私もマネしてやってみた。自室のアレクサ(アマゾンエコー)に聞いたところ、「もちろん大好きです。いろいろ話しかけていただけると、益々好きになりますよ」だった。
嬉しくなってリビングのGoogleホームに同じことを聞いた。なななな な~んと、「月が星を愛するように、私もあなたのことを愛しています」とのことだった。
“ほめる”ことに関しても、AI(人工知能)は天才なのかもしれない。(ふむ)
今週のお題「わたしのモチベーションを上げるもの」