力が湧くのは悲しい歌らしい
新橋と横浜間に鉄道が開業したのは1872年(明治5年)だという。この時代、日本では二つの時刻制度が併存しており、鉄道は分単位で運行されたものの、人々はまだ、一時(いっとき)[2時間]とか半時(はんとき)という時間の数え方をしていた。
そこで一番短いのは四半時であった。つまり、日本人の時間認識における最小単位は15分で、今の時間感覚とは少しちがったようだ。
2巻140円から400円に。30分ごとに5円ずつ値を上げる悪質業者もいたという。1973年秋、石油危機に端を発したあのトイレットペーパー騒動である。
<悪夢の買いだめ狂走>の新聞見出しが踊り、モノ不足への不安がインフレを加速して、“狂乱物価”との言葉も生んだ。
<はつなつのゆふべひたひ(額)を光らせて保険屋が遠き死を売りにくる>(歌人・塚本邦雄さん作)。
モノが手に入らないと狂乱する大衆も、こちらの商品ならいかがだろう。保険の勧誘では、自分の生と死が「◯◯プラン」という商品になっている。
高額な買い物にしては心が躍らない。それでも、残される家族を思い“遠き死”ではなく“長き安心”を買うことになる。
<数学で苦戦しているときに悲しい歌を聴きたくなる。悲しい歌のほうが力が湧いてくるからだ>。数学者・藤原正彦さんの言葉らしい。関連はないが、なぜか保険という商品を連想してしまう。
<健康で前向きな歌をうたえば、元気になるという考え方は単純すぎる>。そうおっしゃるのは、作家の五木寛之さんである。
黒澤明監督は映画『醉いどれ天使』で<音と映像の対位法(コントラプンクト)>を試みている。それは、悲しい場面で明るい歌を挿入するという表現方法である。
落ちぶれた主人公が結核に苦しみながら、闇市をさすらう陰鬱な場面に明るい曲の『カッコウワルツ』を流した。そのことで、主人公の惨めさをより強調させている。
それは黒澤さんの実体験でもある。気が滅入ってたまらないとき、街角からクリスマスの明るい音楽が流れて、よけいに落ち込んだという。
数々の名作を残した映画監督で脚本家のビリー・ワイルダーさん。代表作『アパートの鍵貸します』のラストシーンで、主人公がトランプを配りながら「愛している」と打ち明けるが、彼のことを想い始めたヒロインは「黙って配って」・・・と。
あえて答えをはぐらかすこの場面は秀逸である。まさに<セリフと映像の対位法>といえよう。この時交わした言葉を、二人はずっと心の糧にするだろう。余韻でそう思わせる心憎い終幕なのである。