日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

ラストに強いあの作家の魅力

 

<人は、あてにならない、という発見は、青年の大人に移行する第一課である>。そして、<大人とは、裏切られた青年の姿である>。太宰治さんは『津軽』に書いた。

「子どもの頃から、疑問に思うことを親とか先生にぶつけると、“大人になったらわかる”とか“わけのわからん質問すな”。でも中学2年の時、小説を開いたら、ここに全力で答え出してる大人、おるやん」。芥川賞作品『火花』を執筆した又吉直樹さんの弁だ。

100回は読んだ太宰治さんの『人間失格』も芥川龍之介さんの作品も、又吉さんの疑問に答えてくれた。

「日常の底を切り取るような当時のお笑いは刺激的で、僕にとって絶対的な目標。小説書く人はこんなにも新鮮な感覚を大昔から持ってたんや、お笑いと文学は近い」。又吉さんの感想である。

作家・山田詠美さんは、「まるで親しい仲のような書き方で、突き抜けていて、“にやり”としてしまった。改めて驚くのは、太宰作品の読みやすさ。これが、私の生まれるずっと昔に書かれたなんて、やっぱり信じられない」と評した。

「どの作品も太宰エッセンスが染み込みながらも、まるで異なる語り口で、役者のように書き分けられている」とも。

 

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<国境の長いトンネルを抜けると雪国であった>。川端康成さんの『雪国』の冒頭だ。名作の冒頭は有名なものが多く、苦心のあとが感じられる。当初は<濡れた髪を指でさわった>であったが推敲のうえで、あの書き出しになった。さて、ラストはどうかといえば、憶えておられる方が少ないのではないか。

ラストの名人といえば太宰治さん。<メロスは激怒した>の書き出しが『走れメロス』である。友情を守ったメロス。暴虐な王をも改悛させ、英雄となった。しかし、夢中で走った自分が裸になっていたことに最後で気づく。

正義を貫き喜びのシーンのはずが、勇者は<ひどく赤面した>となるのだ。

人間失格』では、主人公の駄目さを書き連ねたあげく、<私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、・・・神様みたいないい子でした>と、最後はこうなる。

津軽』の最後は、<さらば読者よ>のあとに<命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬>。なぜかワクワクしてしまう。

 

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2004年の第130回芥川賞で、19歳だった綿矢りささんが『蹴りたい背中』で最年少受賞をした。

綿矢さんいわく、「文学は、年齢や時代を超えてあると思います」。「中学時代に読み始めた太宰治は、明治生まれの作家なのに、人目を気にして自意識過剰な主人公の心理がまるで自分のことのようで、言葉遣いもかっこよかった」。

「今思えば、私は太宰ほど繊細ではなかったと思いますが、当時は読むほどに共感して、自分も重症の自意識過剰になり、自分を含めて人の心に興味を持ち、小説を書いてみようと思うようになりました」。若い綿矢さんにとって、太宰作品のとの出会いは大きかった。

今年、没後70年の太宰治さんは、生涯に800通近くの手紙を残した。借金の依頼状、芥川賞を願う泣訴、師の井伏鱒二さんに宛てた苦しい近況報告など。私も読んだ記憶がある。そのユニークな文章力に感動した。

相手をぐっとたてたかと思えば、自らの窮状をつづり、自分を信頼してほしいと訴える。まるでひとりの読者へ、あなただけに自分のことを語っているように思わせる、(太宰さんの)小説と同じ面白さなのである。

読む者への説得力が抜群の手紙について生前、太宰さんは手紙を作品のつもりで書くと言った。<1、2枚書くだけでよい金になる。こんな高い原稿料はほかにないよ>と。借金の達人の言葉みたいだ。