日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

カレーライス・大阪・オダサク


レトルトカレーが世に出回る前、子どもたちは母親の作るカレーが大好きだった。その家庭の味は、専門店もかなわない。<朝食の献立・・・ゆうべのカレーの残り>。向田邦子さんはテレビドラマの台本に書いた。

“おかわり!”の記憶は、のちのちまで食欲を刺激するという。1日寝かせた濃いめのカレーは、(食べ盛りの)昔への郷愁を誘う料理なのだろう。

カレーの話が出ると、オダサクが思い浮かぶ。オダサクとは織田作之助さんの愛称であり、1913年に大阪市に生まれた。『俗臭』、『世相』、『競馬』など、短編を得意にする作家である。

大阪にこだわりを持ち、その作品には大阪の庶民(特に放浪者)の暮らしが描かれている。『夫婦善哉』など市井の人々を活写した小説を数多く発表した。

 

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戦後の織田さんは、坂口安吾さん、太宰治さんとともに「無頼派三羽ガラス」と呼ばれ、人気作家となる。惜しくも1947年、結核により33歳の若さで死去した。

代表作『夫婦善哉』は、映画やドラマでもヒットした。その主人公でグルメの柳吉が、“うまい”と言ったカレーの店が洋食店自由軒」だ。創業1910年の自由軒本店は法善寺から歩いてすぐで、今も昔と同じ場所にある。

織田さん自身も、このカレーをよく食べた。<トラは死んで皮をのこす 織田作死んでカレーライスをのこす>と書かれた額と織田さんの写真が、店内に飾られている。この言葉は、2代目店主が、オダサクに感謝して捧げたものだ。

夫婦善哉』にも登場する自由軒の名物カレーは、ご飯とカレーソースを混ぜ合わせ、その上に生卵をのせる独特のスタイルである、“元祖・混ぜカレー”なのである。カレーのレシピは銀行の貸金庫に預けてあり、今も味は変わらない。

 

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大阪の友人が、幼い頃に自由軒のカレーを食べた、と話してくれた。訊いて興味が湧いた。どんなものかと知りたくて、名物カレーのあれこれを質問した。

オダサクさんが大好きな名物カレーだということは知っていた。自分も食べてみたくなり、自宅でそのカレー作りに挑戦。試行錯誤を重ねているうちに、ネットの自由軒のサイトで、レシピの概要があった。

自己流で、カレーのルーを溶かすのに水を使っていたが、出汁をとるということが判明。食べたことはないが、かなり近づいたような気がした。本家の味を、いつか自分の舌で確認したいと思い続けた。

夢が実現したのは2年前だった。平日でも混み合っている店内に観光客もいた。自由軒でビールを飲みながら待つ。ついに名物カレーが運ばれた。感激で一口目をいただくと、(驚いたことに)私のカレーとまったく同じ味がした。

昨夜、大好きな大阪のことを書きたくてメモ書きしていた。そして今朝、「大阪で大地震発生!」とのニュースが入った。被災された方々には、心からお見舞い申しあげるとともに、復興に尽力されている皆様には安全に留意され、ご活躍されることをお祈りいたします。