日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

なぜ人が熱狂するかといえば

 

この方の筆力はすばらしい。井上ひさしさんである。

「蛇の前の蛙」、「フライパンに置かれたひと塊りのバター」。そこへ続けて「作新学院の江川投手の快速球を待つ非力な打者」・・・と。

短編『われら中年万引団』の中で、<圧倒的な強者の比喩として>妻の前にいる恐妻家の男の心境を表現した。

その小説が発表されたとき、江川卓投手は高校3年生。作家にそう思わせるだけの熱狂感を放っていた江川さんの凄さにおどろく。

1954年5月、ボクシングの世界フライ級王者・白井義男さんの4度目の防衛戦が行われ日本中が熱狂。

東京・中野駅前「丸井」2階売り場のテレビ前にも60名以上の客が殺到し、両者の打ち合いに興奮して足を踏み鳴らした。そして、第3ラウンドの開始直後に床が抜け落ちた。

戦後の日本人に、白井さんが元気を与えたことはもちろんのこと、テレビという新メディアの熱狂ぶりもその事故の大きな要因になったはずだ。

 

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熱狂であふれていた時代は、人々の表情にも喜怒哀楽が多かった。無表情の人が珍しく、“ニヒル”などと呼ばれた。

気力や意欲は歳をとるごとに衰えるが、知力・体力は一般的に考えられているほど衰えない。大事なことは感情を豊かに保つことで、それがいつまでも元気な秘訣なのだ。

今は百科事典の知識も、ネット利用などで得やすくなっている。頭の中身も、知識量より回転数が重要になってきているのでは。

人に“間(ま)”を持たせて「人間」になる。その“間”とは、時間や空間などとの解釈もできそうだ。同程度の知識の競い合いより、個々の“間”の使い方で人間形成に違いが出るだろう。

また、モノの見方や発想を“斜に構えて”みると楽しめる。そういう人の話はおもしろい。

 

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昨年の今頃、IT企業は競って会話型端末の開発・販売に乗り出すなどと言われていた。

家電やスマホなどを動かす方法が、“手動”から“音声”に切り替わるとの考えで、スマホのタッチなどを介さない音声の入力は多くなる、との予想であった。

人工知能(AI)を活用し、話しかけると、内容を理解して、その日の予定や天気などを音声で教えてくれる。話しかけるだけで様々なサービスに利用が拡大できる。

国内でグーグル、アマゾン、LINEによる三つどもえの対決が迫っているなどと、AIスピーカーという新製品の出現も強調され、今にも各家庭に普及するような勢いだった。

今、AIスピーカーを身近に置き、便利に利用している。しかし、テレビ登場のような熱狂はそこにない。そばにあって当たり前。なければなにもできなくなる、ということでもない。

テレビがない時代、その現場にいないと目撃できなかった。車や列車みたいに速く走れなかった。だから、その出現で熱狂した。

AIスピーカーは“以前からできていたこと”の代用品かもしれない。ただ、大きなメリットといえば、AIとの共同生活であり、AIを肌で感じられることなのであろう。