日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

お茶目な名人の居眠りに客は

 

夏のような春が続く。この時期も愛飲される方は多かろう。ペットボトル入りのお茶だ。ラベルには「品名・緑茶(清涼飲料水)」とある。寒い時期に温めて飲むが“清涼”とはこれいかに。食品衛生法のくくりでこういう表示になるらしいが。

発酵させずに飲む日本茶に、大量のビタミンCを含むことが発表されたのは、1920年代のこと。“原材料名”の欄に「緑茶(国産)、ビタミンC」とあるが、酸化防止剤をビタミンCと表記してもいい・・からなのだと。二重のビタミンCでは、体に良いのか悪いのか、わかりにくい。

春といえば、睡眠が心地よい。劇作家・宇野信夫さんが無名の頃、自宅へ古今亭志ん生(5代目)さんがよく遊びに来た。柳家甚語楼と名乗っていた時期という。

差し向かいで話していると、志ん生さんが居眠りをした。すると急に起きて、「ジャリ(子供)が朝早くから目をさまして胸の上を歩きやァがるから、目に借りが出来ちまって…」と言った。

 

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睡眠で目に楽をさせるところを、そうできずに借りをつくってしまった、ということだ。さすがに言葉の達人・志ん生さん。たちまち情景が浮かぶ。

春も深まり、眠気を催す時期を「目借時(めかりどき)」という。春の季語である。陽気のせいで、ついうとうとしてしまう。理由は、蛙が人の目を借りるためなのだ、との俗説である。

古今亭志ん生さんは、寄席で伝説の“失態"があるらしい。寄席へ出演中に居眠りしたのだ。(結城昌治さん『志ん生一代(下)』より)。

戦時中に満州(現在の中国東北部)へ渡っていた古今亭志ん生さんが、東京・日本橋の寄席・人形町末広に帰国後初めて出演ときのこと。1947年7月21日だという。

大の酒好きだった志ん生さんは、この日も朝から飲んでいて、昼席後は贔屓に呼ばれてまた飲む。夜席のトリに上がるときにはそうとう酔っていた。

 

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このときの演目は『ずっこけ』。酔っ払いの噺とあって無事に務めた。伝説に残る“失態"をしでかしたのは、このあとの大喜利での席らしい。客席から帽子などの小道具を借り、落語家たちがそれらの品をシャレに織り込んで噺をつなげていく。そして、最後の演者がサゲをつけるというお題噺である。

志ん生さんへ番が回ってきたところで、噺が止まってしまった。下を向いたきり顔を上げないのだ。皆は、どうしゃべるか考えているのだろうと思っていたが、軽いいびきが聞こえ始めた。どうやら志ん生さんは、坐ったまま眠ってしまったようだ。

やがて、客にも気づかれ笑い声が起きた。共演していた桂文楽(8代目)さんが、「志ん生満州の疲れがとれておりません。なにとぞご勘弁のほどを・・・」と頭を下げた。

客は文句も言わず、「ゆっくり寝かしてやれよ」という声がいくつもかかったそうな。

それではお後がよろしいようで・・・。<(_ _)>"ハハーッ