日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

知的作業とは調べることから

 

今、大活躍中のソメイヨシノは一代限りの交配種で、種から成長させても同じ桜にはならない。そのため、接ぎ木で増やしてきたものなのだという。人為的に時間をかけてあれほどの数にしたと思えば感慨深いものがある。

民俗学者柳田国男さんの説にある。<江戸から明治に時代が移り、人は以前ほど泣かなくなった>と。教育の普及により、感情を言葉で伝える技術が磨かれるにつれ、泣くという“身体言語"の出番が減ったからだ、と。たしかに、理にかなっている。

いろいろな記事を読み、その内容(テーマ)よりも“なにげない情報”がとても気になる。

大阪弁の「ど」は、日本一短くて便利な方言との考え方もあるらしい。“どえらいことに”、とか“ど根性”などの「ど」を自在に使いこなすのが大阪の人だ。

 

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1962年の12月、全国の小学6年生1500人に「将来、就きたい職業」を聞いたという。
そのアンケート結果が雑誌『暮しの手帖』に載った。

男子の第1位はパイロットでもなく、プロ野球選手でもない。子どもたちの目にまぶしく映ったのは「サラリーマン」だったのだ。

気楽な稼業だったかどうか、同年の夏に植木等さん主演の『ニッポン無責任時代』が封切られた。植木さんの明るさと、高度成長期の空気がマッチして、サラリーマンの魅力がふんだんに表現されていた。

テレビでは自家用車のCMも多く流されるようになる。ご縁はなかったが、子ども心に乗りたいと思う車も現れる。(今でも好きな車である)“フェアレディZ”の誕生は1969年。来年で半世紀なのだ。

スポーツカーの走りと、乗り心地の良さ。スポーツカーとしては比較的安価であったことで国内外で爆発的にヒットした。「フェアレディ(Fairlady)」とはミュージカル映画『マイ・フェア・レディ』から名付けられ、Zは未知への可能性と夢を意味するサブネームである。

 

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テレビの内容も、高度成長期とは大きく様変わりしている。<“調べる”ことはテレビを作る上で最も面白い作業>だと、テレビプロデューサー・白井博さんはコラムに書かれた。

“調べる”ことにより生まれてくるディレクターの直感や発想が、番組をより面白くするという。その面白い作業を近年は「リサーチャー」に任せる番組が多いのだ。リサーチャーとは、依頼主に必要な情報を的確に集めるプロの情報屋である。

テレビの分業化がすすむことは、<料理の一番おいしいところを捨てているようなもの>なのだという。それでも、おいしいところを捨てずに生かしている番組は今でもある。

白井さんはその例として、NHKの『ブラタモリ』を挙げた。街や地域の歴史を「地理学」で分析して、調べていく過程をそのまま見せる。そして、謎の解明の面白さを同時体験させて、その過程を支えているのはタモリさんの“知性”なのである、と。

“調べる”ことは知的作業であり、テレビが分業化で捨てたものは“知性”でもあるようだ。

 

 

今週のお題「お花見」