日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

春が眠いことにも理由はある

 

10代で熱心に聴いた曲は年齢を重ねても耳に快く響くらしい。たしかに、たまに行くスナックでも、古い歌が根強く歌われている。いい歳の我々が聴いても懐メロなのだから、歌の生命力はたいしたものだ。

高齢者を支えるイベントとして、昭和に流行した“歌声喫茶”が各地で復活しているという。キーボードやギターの演奏に合わせ、40~70代の男女たちがジュースやコーヒーを飲み、一緒に歌うそうだ。

私は物心ついた頃、歌声喫茶が周りになく未体験なのだが、とても楽しそうである。みんなで歌うことで一体感が生まれ、仲間作りや社会参加を促す効果がみられるという。

歌集をめくり、歌謡曲や童謡のリクエストが飛び交い、最後は手拍子をしながらみんながお気に入りの懐メロを大合唱。歌詞を見ながら歌うことは脳の活性化につながる。ふだん話さないような人とも、一体感と安心感が生まれ、人とかかわるきっかけになる。

 

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<カツドウヤほんまにヤクザでんな。この世界には、ひとつきり思想あらしまへん、ウン、おもろいやないか、よっしゃそれゆこうと>。鞍馬天狗を演じた嵐寛寿郎さんの言葉である。観客を楽しませることに貪欲なカツドウヤ(映画人)にささげた賛嘆の辞なのだ。かつて、日本映画の黄金期には「よっしゃそれゆこう」の勢いがあった。

1980年代半ば、勢いのあった新聞もなくなるといわれた。発行部数は減少していても、なんとか維持している社はある。インターネットでも新聞記事を元に書かれているものが多い。

その頃、テレビは報道機関としての地位を確立したという。『ニュースステーション』など、(ドキュメンタリー中心だったテレビ報道に)わかりやすさと見せることを加えた。90年代以降は衛星回線の発達で、CSやBSデジタルといった新しい媒体が加わり、多チャンネルの時代になる。

 

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21世紀に入り、インターネットの時代になる。世の中の動きはすべてスマホやパソコンで得ている人が増える。“記憶の外部化”も進み、電話番号も覚えていない。

長い年月をかけて、メディアは移り変わるという。メディアの命運は、国民に必要な情報を提供しているかどうかで決まる。

デジタル化以降、テレビの未来を語られることが多い。ヒット番組の二番煎じが現れる業界体質。マンネリ化したお笑い番組。大人の観たい番組が少なくなった。若者のみならず、大人のテレビ離れも進んでいる。

私自身、リアルタイムでのテレビ放送よりも、インターネット配信を視聴することが多くなっている。共有財産である電波を使うテレビはテレビ局のものではなく、視聴者の顔色を窺って各局で同じ内容の番組を流されても困る。かつてのテレビは「春の陽の“ビックリ箱”」みたいであった。今はもう驚かない。

<春は眠くなる。猫は鼠を捕る事を忘れ、人間は借金のある事を忘れる。>(夏目漱石さん『草枕』より)。春に眠くなるのも、逆に気持ちがそわそわするのも、原因は同じらしい。寒いかと思えば、暖かい。その急な気候の変化に自律神経が乱れるためなのだと。