日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

横浜ホンキートンクブルース

 

昨日、宇崎竜童さんの『弾き語りライブ』に行った。『港のヨーコ・・・』で始まり、アンコール曲『さよならの向う側』まで、ご自身のヒット作で大いに盛り上がった。

自作以外の歌を2曲披露してくれた。ひばりさんの『リンゴ追分』であり、もう1曲がこの名曲『横浜ホンキートンクブルース』であった。

1970年代終わり、俳優・藤竜也さんはトム・ウェイツの曲にインスピレーションを受けて一編の歌詞を綴った。歌詞を渡されたのは高校の後輩でゴールデン・カップスのエディ藩さん。野毛の立ち呑み屋で競馬中継を見ながら曲をつけた。

藤さんは人生のすべてといっていいくらい、長い時間を横浜で過ごす。白塗りのメリーさんとも伊勢佐木町、関内や馬車道横浜駅西口で会ったそうなので、私と同じだ。

不思議な空間で、彼女とまわりの空気には、ある種の威厳みたいなものがあり、すうっと舞台を移動する能役者のように動いたという。

 

2025

 

あの曲の作詞をすることになったきっかけとして、藤さんにはエディ潘さんと別の記憶がある。

藤さんは一時期、エディ潘さんやデイブ平尾さん、柳ジョージさんなどと、チャイナタウンあたりでよく飲んでいて、「ちょっとしたレストランで仲間とライブやるから」とエディ潘さんに連れて行かれた。

奥のほうにちょっとした演奏ができるようなスペースがあって、バー・カウンターがいちばん手前にある店だったという。そのカウンターで藤さんはライブを聴きながら酒を飲んでいたが、「お、これいいじゃん」と思う曲があった。それが『横浜ホンキートンクブルース』だったのだ。ただし、曲はいいけど歌詞があまり面白くなかった。

藤さんは酔いながら、コースターの裏か何かに“こんなのどう?”みたいな感じでワーッと書いてエディ潘さんに渡したのだという。曲のタイトルは最初からあった。エディさんは<面白いじゃないすか>と応えた。そして、その話はその場だけのことだった。

 

2026

 

音楽業界のことをまったく知らず、人とのつながりもない藤さんへ、レコード会社から「歌をうたってくれ、シングル出したい」との連絡が入った。返事をして出かけたら、見せられた曲が『横浜ホンキートンクブルース』であった。

歌わない方がよかった、と謙遜する藤さんであるが、ぜひ藤さんの原曲を聴いてみたい。
藤さんが吹き込んでしばらくすると、エディ潘さんが自分で歌った。そのうちに原田芳雄さん、松田優作さん、石橋凌さんなどが歌った。

原田さんと藤さんは歳も同じで、20代の頃によく仕事していたそうだ。<バンドホテルでライブやってるから>と原田さんから誘いの電話がかかり、最上階にあったナイトクラブ「シェルルーム」で藤さんは聴いた。

トム・ウェイツは日本でポピュラーじゃないが格好いいと思った。特にあの嗄れ声が。その箇所の歌詞をそれぞれ変えて、原田さんは「ブルース」などと歌ってるみたいだけど、その自由さがまた楽しい・・・のだと藤さんは言う。