日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

モノや情報で人とつながる今

 

昭和30年代のこと、某出版社が文学全集の刊行を企画した。
松本清張さんの作品が議題にのぼったとき、編集委員の一人である三島由紀夫さんは言ったそうだ。「清張作品を入れるなら、私は編集委員を降りるし、わが作品の収録も断る」と。

純文学と大衆文学の壁をめぐる文壇のこぼれ話ではあるが、今より娯楽がはるかに少ない時代に、読者からはその“分け隔て”がなかったように思う。私にしても、三島さんも読んだが、清張さんもたくさん読んでいる。

時は移り、今は高い壁がどんどん消える時代らしい。いろいろなものをシェアしながら暮らす人が増えているからだ。

家族や友人と衣類やアクセサリーを共有し、地域の人が車を共同で使うカーシェアリングもある。インターネットで目にしたメッセージや画像などを、自分の知り合いに流すシェア機能を日常的に使っている人もいる。

 

1945

 

渋い演技でおなじみの俳優・國村 隼さんは、子供の頃から車が好きで、車の設計をやりたくて、工業高専に進学した。しかし、物理学や量子力学などを学ばなければならないことが苦痛で辞めた。

「暇つぶしに行けば」との友人からのアドバイスで、劇団の研究所を訪ねた。
そこで、一つの舞台を作り上げていく過程は、エンジニアの“もの作り”と一緒。小道具を作り、衣装を作り、芝居がどんどん楽しくなっていくことになる。

リドリー・スコット監督のハリウッド映画『ブラック・レイン』(1989年)のオーディションに挑戦したら合格。共演者はマイケル・ダグラスさんや高倉健さん、松田優作さんというそうそうたる顔ぶれであった。

特に松田さんとの出会いで、芝居への道を確信した。松田さんの子分役だったので、現場ではいつも一緒。教えられたのは<人に見られていることを常に意識しろ>だった。

 

1946

 

一流の映画の現場、一流の俳優の背中を見たことで、「自分の母屋は映画だ」との自覚が芽生えたという。俳優である自分は“依り代”のようなものであり、「役の入れ物」にすぎないのだ、と悟った。

「役の入れ物」という考え方が、“シェア”という感覚にもつながるようでおもしろい。人間の生命も“体を借り物として”成り立っているように、いつも思うからだ。國村さんは、一度もやったことがない役柄をもっと演じたい、と思っている。

図書館で本を借りたり、ネット利用で無料の音楽を聴いたり、動画を観るのも広い意味でのシェアなのであろう。モノ、情報、空間などを気軽にシェアできるのは、限られた収入のなかでは便利である。

シェアハウスの体験はないが、ふつうの賃貸住宅にはない、住人同士の交流があるような気がする。今のシェアは、モノ、情報、住まいをネタにして、人とつながることを目指しているのかもしれない。

そもそもが、ものすごく大きなシェアハウスを地球に喩えれば、あらゆる生物たちがそこでシェアをしているようなもの・・・なのだから。