日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

時代は関係ない気がしてきた

 

松本隆さんが作詞した曲を一度も聴いたことのない人は、いないかもしれない。
作詞活動は今年で47年。1980年代は松田聖子さん、近藤真彦さん、薬師丸ひろ子さんたちに詞を書き、歌謡曲の全盛期を支えた。

90年代以降もあらゆるアーティストに詞を提供し、手がけた作品は2100曲を超えた。

松本さんは20歳代前半までロックバンド「はっぴいえんど」のドラマーだった。大滝詠一さん、細野晴臣さん、鈴木茂さんと組んだ伝説的なバンドである。“日本語のロック”を立ち上げ、ドラムと作詞を担当。その後の日本のポップミュージックシーンに多大な影響を及ぼした。

日本語を初めてロックに躍動させたのは、「はっぴいえんど」が最初で、当時のロックは英語で歌うのが当然。“日本語は海外のビートに乗らない”と言われた時代だった。

松本さんの、誰も考えなかった文節の区切り方、日本語を純粋な響きとしてグルーブさせる方法論はとても新しかった。

 

1943

 

松本さんの詞は、直接的なメッセージソングと一線を画す。情景を俯瞰的に描き、場の空気や登場人物の表情までも想像させる。映画みたいに濃密な物語を匂い立たせる。

生まれは東京・青山である。歌詞には、地方目線の“あこがれの東京”ではなく、都会人側の都会を織り込む。太田裕美さんの『木綿のハンカチーフ』は、高度経済成長期で消えゆく東京の原風景を、男女の別れに重ねた秀作である。

松本さんの詞をメロディーにのせたのは、素晴らしき作曲家たちだ。“黄金コンビ”と呼ばれた筒美京平さんとは、『木綿のハンカチーフ』や『卒業』など立て続けにヒットを飛ばし、歌謡ポップス界に新風を吹き込んだ。

盟友の大滝詠一さん、山下達郎さん、財津和夫さんらロックやフォークなどの才能を招き入れたことも功績だ。松任谷由実さんとは松田聖子さんに12曲を提供。日本歌謡史に残るヒット曲を輩出し、オリコンでTOP10入りした楽曲は130曲以上もある。

 

1944

 

音楽界をリードしてきた作詞家・松本隆さんの活動が今も注目を浴びているという。

歌手・クミコさんの最新(ラブソング)アルバムでは、松本さんが全曲の作詞を担った。
そして、つんく♂さんや、秦基博さん、(ジャズ界の)菊地成孔さんなど、幅広い世代の作曲家らと初タッグを組んだ。

「喜怒哀楽を描きたいといつも思っています」と松本さん。
<人間の心の奥底をのぞき込んで、最も深いところに沈んでいる光をすくい上げると歌詞ができるんです>とも。

1970~80年代は時代を映す鏡になりたいとも思ったが、人間関係の難しさは普遍的なテーマ、だと言う。ところが<この歳まで生きると、時代は関係ない気がしてきた>とのことである。