日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

口に関する下世話事あれこれ

 

「口が減らぬ」は、口達者で理屈を並べて言い返したり、勝手なことを遠慮なくしゃべったりするさま。私は、同性よりも異性との会話でこのケースによくなる。お笑いの感覚なので、言い合ったあとはスッキリ感がある。「口ずさむ」ような会話が楽しめればいいと思う。

「言わぬが花」なら、はっきり口に出して言わなくても、おもしろみや味わいがあってよい。「口達者」ではなく「口にチャック」もできれば、粋な会話が楽しめそうだ。

「口がきれい」という言葉は、ふたとおりの意味があるとか。口先だけでりっぱなことや、きれいごとを言うさま。もうひとつが、食べ物にいやしくないさま、である。

後者の意味で、私は口がきれいと言われたことがある。人前で食べる姿を晒したくないため、執着がないフリをする。その分、お酒に意地汚いという自覚があるから、「口が卑しい」という言葉が当てはまる。

 

1906

 

バブル期のグルメブームには「口が奢っている」人が多かった。贅沢でうまい物しか食べない。「口寂しい」と思えば、何か口に入れるものが欲しくなる。脂と糖分で鍛えたそのからだは、バブル崩壊後に“現代病”というツケが回ってきた。
昔ながらの粗(素)食がなによりのごちそうと、気付いたときは“あとの祭り”である。

「口のうまい」人は蔓延している。巧みな話し方を駆使し、口先で人をまるめ込んだりするのがじょうずである。“振り込ませ詐欺”の手口は、ますます高度化している。
その「口三味線」に言いくるめられぬよう、不断からの注意が必要だ。

「口うるさい」人、「口はばったい」人はやっかいだ。「口は災いのもと」で、不用意に発した言葉や余計なひとことが災いをまねいてしまう。言ったはいいけれどあとから「口惜しい」思いが自分に跳ね返ってくる。

 

1905

 

「暴言」を吐くのも“口”であり、公害ならぬ“口害”である。
ハッキリ言わずに「口を濁す」人や、分を越えて横から「口出しをする」人も多い。

議員さんたちの口からも「失言」がボロボロとこぼれ落ちている。相手に訊かれると困るため、泣き叫んでごまかしたり、どこかに隠れたりもする。

限られた人間関係で、「口が軽い」か「重い」かのゲームを試してみるとおもしろい。
Aさんのことを知りたければ、本人ではなくBさん、Cさんなど他の人にさりげなく訊いてみる。そのリアクションでだいたいの口の軽さが判別できるからだ。

自分の秘密をわざと一人だけに話してみる。すると、話の広がりの早さにおどろいてしまう。なんておしゃべりな人間が多いのだろう、とあらためて確認できる。

なにはともあれ、幼稚な「口喧嘩」で地球を破壊しかねない輩(やから)には、常識ある「口添え」ができる“ご意見番”がなくてはならぬ。