日日平安part2

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飾らず手軽に読める文学全集

 

“文学全集”が飛ぶように売れた時代があったそうだ。
その元祖は“円本(えんぽん)”と呼ばれるシリーズ本であり、1926年に出た『現代日本文学全集』(改造社)がきっかけになり、1冊1円の手軽さで人気を博した。

また、戦後の1952年には角川書店が『昭和文学全集』、新潮社が『現代世界文学全集』の刊行を開始して、新たなブームが始まった。前者の累計発行部数は926万部、後者は302万部に達したといわれる。

出版科学研究所の統計では記録に残る1969年以降、文学全集が最も売れたとみられるのは1971年であり、この年だけで新規の全集が57シリーズも刊行された。

それ以降、全集の発行部数は低迷傾向が続く。活字離れで本が売れなくなったり、核家族化で家が狭くなり何十巻ものシリーズが敬遠されたことなどが原因のようだ。2003年にはピークの約100分の1にまで落ち込んだとのこと。

 

1879

 

“文学全集”といえば古めかしい響きで、(活字離れの進む)昨今はすっかり存在感が薄れた、と思っていたがそうでもないらしい。

書店で“全集”を手に取る人たちが増えているそうで、この数年は発行部数がわずかながら上昇しているとのこと。

百科事典同様に、かつては“全集を飾った”時代であったのが、今は“全集を読む”時代になっている。

3年前『日本文学全集』の刊行を始めた河出書房新社では、第1巻『古事記』が5万部を超える好調ぶりを示した。

明るい色合いの装丁で、箱にも入っていない手軽さ。従来の全集とかなりイメージチェンジをして、それがウケているようだ 。

かつて全集は全巻購入する顧客が多く、本棚ごと販売した例もあった。ところが、実際にどれだけ読まれたかはわからない。昨今のシリーズではバラ買いも意識し、“読める”ことにこだわっているのだ。

 

1880

 

今の時代は、電子書籍の普及で新しい可能性を感じさせる。
講談社では『手塚治虫文庫全集』全200巻を電子化して、一昨年5月から配信を始めた。

文学全集が電子化されれば、何十巻あっても場所をとらず、膨大なテキストを検索できる利点がある。そこが従来と全く違う威力を発揮する可能性なのだという。

「文学全集」といえば、格式張って敬遠した人も多いだろう。
今は手に取りやすくした装丁や、「読みたい人だけが読む」という素のままの状況を前面に、(敷居も低く)読みやすくなっている。

とてもありがたいものという印象だった文学全集も、今はとくにありがたくはない。
そこが今までになく“読まれやすい”時代であるとも言える。

かつて全集を敬遠していた人たちが、古事記ぐらいは読んでみようかな、と手に取る風景を想像すると、なぜか私のこころも和んでくる。