日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

パソコン・電話 いたしません


濁ると澄むでは意味の変わる言葉がある。
その代表はやはりこれだろう。<ハケ(刷毛)に毛がありハゲに毛がなし>。

また、濁音の表現は不快感を誘うこともあるという。

“かに(蟹)”を濁らせた「がにまた」や、“さま”を濁らせ「ざまあ見ろ」などと。
それは濁音による心理を応用した悪口になる。

少し前に流行?した「ゲス」や「下策(げさく)」にも濁音が絡む。

春の日と掛けて金持ちの親類と解く。<くれそうでくれない>。
「日が暮れない」と「お金をくれない」の掛け合わせらしい。

“くれない”のピークである夏至である。
こちらはあいにくの雨でその実感は薄かったのだが。

夏至冬至に比べて人気に欠けるような気もするが、それは濁音の前後差によるものなのであろうか。

 

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スマホとパソコンのどちらにも濁音の表現はないはずが、濁音以外の温度差が出てきているらしい。

パソコンを使えるばかりに仕事が殺到するのだという。

『PTA界にこだまする「パソコンが辛い」問題』を、ライター・大塚 玲子さんが書いていた。

PTA活動において、パソコンを使えない人は何もしないで済むのに、パソコンを使いこなせる人が少ないとのこと。

多くの母親たちが日常的に使うのは携帯やスマートフォンであるが、パソコンは苦手なのらしい。

PTA・広報委員会では、パソコンで打った原稿データを印刷所に渡して、年に数回、広報紙(PTA新聞)を発行する。

一昔前まで、手書きの原稿でもよかったが、最近は印刷所の人が文字を打ち込み直す手間を省き、パソコンで原稿を入力して、印刷所にデータを渡すやり方が主流だという。

 

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広報委員の仕事は原稿書きだけではない。原稿チェックや、完成した広報紙を折る作業など、パソコンを使えない人でもやれることはある。

しかしパソコンができないことを理由に、だんだん(委員会の)集まりにすら来なくなる。
結局、ほとんどの作業をパソコンが使える人だけでやることになってしまうのである。

やっと、自分たちの仕事を終えたと安堵していると、今度はパソコンをできない人の手書き原稿を打ち込む仕事がまわってきたりする。

今いる私の職場も同様で、なにかあるとパソコンに詳しい(と思われている)私に泣きついてきて、パソコン以外の余分な作業がついてまわる。

<電話口「何様(なにさま)ですか?」と聞く新人>。
サラリーマン川柳の旧作である。

電話に出るのが苦手な若手社員の話題は数年前からあるが、電話がいやで退職する新人社員も出ているそうな。

スマホは見事に使いこなしているが、通話の割合が激減しているのか。それとも、固定電話に違和感があるのだろうか。

家にいて固定電話にかかってくる内容は、なんらかの営業ばかりで、鳴ると不快な気分で身構える。電話を使う仕事をさんざんこなしてきたわが身であるが、いまや電話アレルギーである。

アガサ・クリスティさんの『ABC殺人事件』のなかで、名探偵ポアロは述べている。
<会話とは人が胸に隠していることを発見する確かな方法である>と。

さて、スマホタブレットでネットをしても、パソコンや電話を使わない人の胸の内には、いったいなにが秘められているのであろうか。