他人事と自分事は入れ替わる
傘が活躍する時期になっている。しかし、雨の日はまだ少ない。
雨の予報で外出時に傘を持ち歩いても、使わないで済むことがある。そういうときは、なんだか損をした気分になる。電車の忘れ物ランキングでも、傘が1位をキープし続けているようだ。
暮らしのあらゆるところにコンピューターが入り込む時代になっても、人の頭上で物理的に雨を遮る仕組みである傘は昔のままである。その原理は江戸期の浮世絵にも描かれている。
傘は風にも弱いし、横から雨が吹きつけたり、下から跳ね返ってきたりもする。
そのような完璧ではない道具に頼らざるをえないところで、気象に対する人類の無力を知るのかもしれない。
IT技術の駆使で格段の進化をとげたのは天気の予測であるが、(今のところ)雨の防御策は傘頼みのままである。
「他人事」を何と読むのか。6年前の「国語に関する世論調査」(文化庁)では、「ひとごと」を選んだ人が30.4%、「たにんごと」は54.2%だったそうだ。
そもそも他人に関わることを「ひとごと」といい、漢字での表記は「人事」だった。
それでは読みにくいため「他人事」になったという。
文字通り読んで「たにんごと」となり、「他人事」に対応する言葉として「自分事」という言い方も生まれているようだ。
職場、学校、生活のあらゆる場で、「当事者・関係者・傍観者」の関係が入れ替わる。
“対岸の火事”だったのが、いつの間にかわが身に火の粉が飛んできたり・・・と。
急な雨で自分だけ傘を持っていたので助かった。当事者の自分は濡れている人の中に知人を見つけた。関係者であった知人を傘の中に入れてあげた。傘の中のふたりは当事者になり、濡れて慌てる人たちを眺める。そのときは傍観者になっている。つまり他人事なのだから。
逆の場面もあるだろう。雨に降られて傘を持っていないのは自分だけ。濡れながら、関係者の知人に出会えればラッキーなのであるが・・・。
<あくびがでるわ/いやけがさすわ/しにたいくらい/てんでたいくつ/まぬけなあなた/すべってころべ>。自分事でつながり合えたはずの彼か彼女から、こんなLINEやメールをもらったらどうだろう。自分事で熱く怒り、さっさと他人事にしたくなるかもしれない。
横書き6行の左端を縦に読んでみると「あ・い・し・て・ま・す」。
それを知ったとたん、今まで以上の自分事でホットな気分に切り替わることだろう。
(和田誠さんのエッセイ『ことばの波止場』より)
さて、話を雨に戻そう。
日常のありふれた風景が人を哲学者にすることもあるという。
話術家・徳川夢声さんは、自宅の庭に降る雨を見ながら<池には雨が落ちて、無数の輪が発生し消滅する>と、1942年(昭和17年)3月の日記に書いたそうだ。
<人間が生れて死ぬ世の中を高速度に見ることが出来たら、こんな風だろうと思つた。
カミ(神)の目から見る人間の生死がこの通りだろう>と。
たしかに。自分事として捉えるとそのことがすごく理解できてしまうのである。