日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

話の始まりはエピソードから


読んだり聞いたり、書くのも、私はエピソードが好きだ。

エピソードの意味は、挿話(そうわ)。文章や物語の途中、演劇の幕間などに挟む短い話。などとあるが、心惹かれるものはこちらである。
<ある人物や物事についての興味深い話>。

渡部建さんと児嶋一哉さんのお笑いコンビであるアンジャッシュは、コントグループである。一度観てから釘付けで、出演番組があれば観てしまう。

エンタの神様』という番組では90本近くのコントをこなし、そこで求められたのが“勘違いネタ”であった。私もどっぷりとハマッた。

同じネタを観てもまったく飽きない。結果がわかっていても毎回楽しめるのである。
まるで、名作古典落語のようだ。

最近では別々の活躍が多いが、渡部さんと児嶋さんは今も(原点である)ファミレスで、ネタ作りをされているらしい。数々のすばらしいネタがファミレスから生まれているなんて、ファミレスの前を歩いてもワクワクしてくる。

 

1844

 

「蜷川TENSAI(天才)」。
これは、蜷川幸雄さんが若き日の表札らしい。
自宅に掲げる表札としては異色だが、俳優としてはダイコンと笑われ、演出家としては芽が出ない頃の反骨心からなのだろう。

「蜷川さん、お願い。尊敬できなくなるから俳優やめてちょうだい」。
女優・太地喜和子さんのそのひと言が演出に専念するきっかけだったという。
そこから“世界のニナガワ”が生まれることになった。

劇評で、「休養して充電せよ」と書かれたことがある。
蜷川さんは笑った。
「電気カミソリじゃあるまいし、充電なんてするか!」と。

若者の怒りを表現したアングラ演劇、日本人の美意識と感性で織り上げたシェークスピア劇・・・。<守りに入るな!>。
蜷川さんは、攻めて攻めて攻め通した人である。

 

1843

 

『花の名前』など三つの短編で、向田邦子さんが直木賞に選ばれたのは1980年(昭和55年)の7月。選考会では、授賞を見送り、小説家としての実力を見極めよう、という声も多かったらしい。

山口瞳さんが強硬に異議を唱えた。
向田邦子はもう、51歳なんですよ。そんなに長くは生きられないんですよ」。
その言葉で風向きが変わり、授賞が決まった。満50歳といえば働き盛りのはずだが。

授賞見送り派を説得する方便で口にしたその年齢は、そのまま向田さんの享年となる。
向田邦子さんは旅先の台湾で航空機事故に遭い、翌年8月に亡くなった。