日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

宵が裏方で生酔いできる季節

 

<小説とは迷っている人間が書き、迷っている人間に読んでもらうもの>と司馬遼太郎さんは語った。

女性初の芥川賞受賞は1938年(昭和13年)下半期に、中里恒子さんの作品『乗合馬車』が受賞した。今では、選ばれる側、選ぶ側で女性作家の活躍が目立つが。

当時、授賞事務にあたった裏方の人たちは時計で大あわてしたようだ。正賞として贈る懐中時計に女性用の用意がなかったのである。

数十文字の記念の言葉を刻むため、小さすぎても具合が悪い。そして、時計の種類が少ない時代のこと、時計店を何軒も回ったという。

 

1835

 

香川県琴平町の金丸座(金毘羅大芝居)は天保年間に建てられ、現存する日本最古の劇場らしい。よく響く効果音のように、表の木立からウグイスの声が聴こえてくるという。

江戸期の人々も秋はしぐれ、冬は木枯らし、と四季折々の音を聴きながら芝居を楽しんだことだろう。

回り舞台の仕掛けがある地下室(奈落)には、舞台の床下から力棒(ちからぼう)と呼ばれる4本の丸太が下がり、その足もとには手のひら大の力石(ちからいし)が数十個、一定間隔で円を描く形に埋められている。

裏方さんたちが力石に足を踏ん張り、力棒を肩にあてて舞台を回すのだ。皆が心をひとつにし、呼吸をそろえて満身の力を棒に伝えるそうだ。

優雅な舞台の下で働く、裏方さんたちのご苦労が思い浮かばれる。

 

1836

 

「生酔い」とは両極端を表す不思議な言葉のようだ。
「少し酒に酔うこと」と「ぐでんぐでんに酔っていること」の意味と辞書にある。

寒くも暑くもない穏やかな季節になった。
どちらの意味に転ぶかは知らぬが、生酔い気分で2軒目を探し歩く宵が気持ちいい時期だ。宵は酒飲みにとってなによりの裏方なのである。

日暮れ間もないころを指す「宵」とい言葉も、もっと遅い夜更けの時間帯と勘違いする人も多い。「まだまだ“宵のうち”」と、飲み続けるわが身も意図的に勘違いしている。

かつて、気象庁は、情報が正確に伝わるようにと、予報用語の「宵のうち」(午後6~9時ごろ)を「夜のはじめごろ」に改めた。情緒ある日本語が天気予報から消えたのは少し寂しくも思われる。

過度に飲酒すると、アルコール量が肝臓の処理能力を超え、アルコールやアセトアルデヒドが分解されずに肝臓の外に出るのだという。酔っぱらいのくせにこういうことはよく考えていない。

アルコールは脱水、低血糖などを引き起こし、アセトアルデヒドには毒性があり、翌日の朝、頭痛や吐き気などに悩まされる。これが二日酔いだという。

通常の「酔い」は、アルコールによって脳の機能がまひした状態。これは毎晩体験しているのでよくわかる。

「宵のうち」にならい情報が正確に伝わるように書くと、血中アルコール濃度0.1%が「ほろ酔い」の段階で、これを超えて飲み続けると二日酔いになりやすくなる・・・とのこと。

とはいえ、愛しい宵へ軽装で突入するときには、昨夜のアルコール濃度のことなど、まったく頭にはない状態なのである。実に困ったものだ。