日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

“日本でよかった”の味わいは

 

人間の舌が感じる基本味は、「甘味・塩味・酸味・苦味・旨味」の5つといわれる。
“旨味”に関する物質は、1908年に日本人が発見したそうだ。

だし昆布からグルタミン酸を見つけ、その後、かつお節のイノシン酸、しいたけのグアニル酸などと、次々に旨味成分を発見した。

“出汁”の文化が定着していた日本人は、基本味の構成に敏感だったようだ。根付いた先人の知恵は大きい。

葛まんじゅうも、バテやすい夏には「胃に優しく滋養のある葛の根を食べる」、ということから始まった。

和菓子は(明治時代以降にヨーロッパなどから日本に入ってきた)洋菓子に対する言葉であるが、古くから神仏への供え物として、大切に扱われてきた。

日本の伝統的な菓子のことであり、餅菓子、最中、饅頭、羊羹、落雁、煎餅などが含まれる。

 

1834

 

「菓子」という文字からも伺えるが、菓子とはもともと木の実や果物を指していた。
縄文時代に日本人はすでにクッキーのようなものを食べていたことがあるという。
それは、栗などの木の実を砕いて熱を加えたものなのだ。

和菓子は歴史の過程で、海外の影響も強く受けているらしい。
中国で学んだ禅僧は喫茶と点心という習慣を広め、遣唐使は油で揚げるという調理法を伝えた。

大量の砂糖と卵を使う“南蛮菓子”も和菓子の流れを大きく変えた。
洋菓子に比べ和菓子は、油脂や香辛料、乳製品を使うことが少なく、米や麦などの穀類、(小豆・大豆などの)豆類、葛粉などのデンプン、そして砂糖を主原料としたものが多い。豆類を加工して作る餡も重要な要素となる。

一般に緑茶に合わせることを想定して作られ、茶の湯との関係も深い。

和菓子の色彩やデザインは、食べるのがもったいないくらいに美しい。
見て味わうだけでなく、それぞれの菓子の名の由来を知ることで、愛着が増してくる。

 

1833

 

今に通じる和菓子が京都で誕生したのは、江戸時代の元禄期らしい。
従来との大きな違いは、優美な色づかいだった。

その時代、格式を重んじる世界に住む男たちにとって、和菓子はたしなみの一つとなった。公家文化、茶の湯文化、町人文化などと、それぞれが盛り上がりを見せ、男たちは優雅な菓子を楽しんだ。

和菓子の風情として、四季との結びつきが強いことも大きな特徴だと思える。
各種の製法を駆使し、味だけでなく視覚的な美しさがたまらない。そしてそれは、豊かな季節感をもって表現されている。

和菓子は人生の節目ともつながりが深い。ひな祭りには“ひちぎり”という餅など。端午の節句には、ちまきやかしわ餅を食べる。まんじゅうも、めでたいときの紅白から、仏事用までと、日本人の生活に密着している。

そしてそこには「甘味」のみならず、“日本の土壌や人々の生活に馴染んだ”絶妙な「旨味」の存在感があるようなのだ。