日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

人生に句読点を打ちやすい国

 

本年もよろしくお願い申し上げます。

いつも読んでいただき、ありがとうございます。
そして、皆様のすばらしい記事をたくさん読ませていただけることに感謝しております。

<7・2・3(なにさ)から 7・2・4(なによ)に変わる デジタルの 時計見ながら 快速を待つ>。俵万智さんの歌である。

デジタル時計はよくしゃべるらしい。短い言葉でも口数は多い。
その点、アナログ式は寡黙のようだ。歌の中の時刻とすれば、長針と短針が“へ”の字口のままなにも言わない。

パソコンと向き合う時間の長いわが身としては、アナログ脳の退化に一抹の不安を隠し切れない。デジタルでは1秒足らずで解答が出せる「数独(ナンクロ)」の難問に、長い時間を費やしてしまうのもその思いがあるからだろう。

 

1757

 

1年の移り変わりのこの時期に、思うことはいつも同じである。
生まれてから死ぬまで時間はずっと流れていくだけで、時の流れに特別な区切りはないはずなのに、なんで年末年始はいつもの月替りとちがう気分になるのか?

人間は、(時間の流れの中に)句読点を求める習性のある生物らしい。
とくに日本は、四季の変化に恵まれた国であり、夏の暑さや冬の寒さなどと自然の変化をハッキリと感じとれる。時間の経過を体感で受け止めることができるように、擦り込まれているようだ。

年末年始には、いろいろな飲み会やイベントなどが集中するのも、年が改まるという意識にかられてのことである。

四季の移り変わりで、人生の句読点を打つことに慣れている日本人が、四季の乏しい国で暮らすと不満のタネにもなりうる、と訊いたことがある。

1年が過ぎたはずなのに、過ぎた感じがしない。それはまるで、人生に句読点がないような気分なのだという。我々は、四季の変化で知らないうちに「脳トレ」をしているともいえそうだ。

 

1758

 

脳には、自分が置かれた状況や論理的な関係の変化に合わせて活動を変える回路が存在するという。その回路は、活動に“句読点”が打たれる度に、活性化されるそうだ。

暑い夏にぼんやりと過ごしていても、秋のひんやりとした空気に触れると身が引き締まる思いに変わる。年末年始の忘年会や新年会といった会では、自分を振り返り未来に思いを馳せる。季節の節目にやる儀式は、脳の回路の切り替えにもつながるのである。

月日が経っても、同じ時間が続いているだけでは、当然のことながら人生に句読点がなく、脳も活性化できない。

この数年私は、特別なことを何もせずに新年を迎えるようにしている。根っからのものぐさなのであるが、日ごろと変化のない正月もそれなりに味があって楽しめる。

もともと人間は短期的な変化に過剰反応しがちな反面、中長期的な変化の意味を過小評価しがちのようだ。そういう意味では、行事が重なる年末年始を平常心で過ごしてみるのもいいものだ。今だからこそ、曇りのないレンズで時代を見られるような気になれるから。