日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

拓郎節で若者と化す熟年たち

 

一昨日、吉田拓郎さんの首都圏ツアーがパシフィコ横浜・国立大ホールで行われた。

今回は、市川市、東京、大宮、東京、横浜。2ヶ月リハーサルして数少ない公演だと、ご本人が笑いながら言っていた。「北は埼玉から南は横浜まで」が今の活動範囲だという。
ライブが終わって家に帰り、奥さんのご飯が食べられるからなのだそうだ。内にこもったおじいさんになりつつあったが、燃えたぎる70歳でやってみたいと思い始めた。そんじょそこらの70歳より元気でやっている、との自負もあるようだ。

既成の作曲家、作詞家による歌謡曲全盛の時代、自分の楽曲を引っさげ新風を吹き込んだ立役者が拓郎さんだ。

<テレビで歌われている歌はインチキ>と若者たちが思い始めるようにもなった。
テレビに出ない拓郎さんと会うには、コンサートに行くしかない。そして、そこでファンとのキャッチボールが行われた。

千秋楽のその日も、リアルタイムの目撃者である団塊世代以上のオニイさん、オネエさんたちが約4700人も大集結。大歓声の中、拓郎さんは23曲を熱唱してくれた。
ディランさんの『風に吹かれて』までご披露いただいた。

 

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70歳を体験して燃えるものが足りないと感じた拓郎さんは、自分を試すように“歌わなくちゃいけない”と思い始めた。

拓郎さんは繊細で神経もすごく使うため、疲労度が高い。それでもそこまで詰めないと良いステージはできないという。リハーサルでも一曲一曲誠心誠意こめて歌う。
命がけでライブをやってみたいと思い始めた。「燃えてみたい 燃えたい」からなのだと。

50歳代から生き方が変わったという。テレビ出演の話があった。が、局からは「あなたひとりでは視聴率がとれない」と言われた。それがキンキキッズとの共演のきっかけになった。

(どこの小僧なんだおまえたち)と思い、付き合い始めて、その若者に賭けてみようと思ったそうだ。

17、8歳とは疎遠になっていたが、彼らからいろんな話題が出てくる。全部勉強になり、毎週会うのが楽しみになる。東京に出てきて以来、2度目のカルチャーショックであり、すばらしい財産になった。

「今でもあのふたりには感謝している」と、最近出演されたテレビ番組で言っていた。

 

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ボブ・ディランが居たから今日がある。多くの事がそこから始まった」
ボブ・ディランさんにあこがれ、多大な影響を受けた拓郎さん。
一昨日の開演前にも、単独インタビューでディランさんのことに触れていた。

ノーベル文学賞で沈黙を続けている世界のカリスマ歌手に「授賞式はえんび服ではなく、ボブ・ディラン的ファッションで出たら格好いい」とコメントしているのだ。

本日の記事で、ディランさんが受賞を受け入れることを明らかにした、とあったが、一昨日の時点で私はずっと沈黙を続けていくことと思い込んでいた。意外であったが、授賞式出席が実現すれば、拓郎さんの言うように“ボブ・ディラン的ファッション”が見られるかもしれない。うれしい誤算であった。

また、「彼(ディランさん)は心の奥に何かを強く持ってるんだけど、それを生涯、人には明かさないんじゃないか」とも言っていた。さすがに拓郎さんである。

さて、あのコンサートの模様であるが、12月23日午後10時からNHKで放送されるらしい。観る方のためにくわしいことは書かないが、ホンのさわりだけ。

オープニングの『春だったね』から『落陽』を含む連続4曲で、客席は総立ちになり一気にヒートアップ。私たちは席の後ろがちょうど通路だったので、椅子の上に立ちノリノリだった。その後も知っている曲がほとんどで、後半に向かい(広島弁の)『唇をかみしめて』と『流星』が圧巻で、大感激であった。

 

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