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日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

グローバル時代のアリジゴク

 

ふだん何気なく使う言葉には、歴史の重みの潜むものもあるという。
「感謝感激、雨あられ」は、日露戦争が題材で筑前琵琶の一節で「乱射乱撃・・・」のもじりだという。

「この際だから」は、関東大震災直後の流行語らしい。
東日本大震災後、明かりの減った街路を歩きながら、“この際”がまさに“今”だと受け止めたことを思い出す。

元の言い回しが忘れられ、もじったパロディーが生き延びる。
大正期に首都をがれきの山にした大地震から93年。今年も地震や台風による大災害が続いている。

 

1677

 

<日本に この生(き)まじめな 蟻の顔>と詠んだのは、俳人加藤楸邨(しゅうそん)さんである。アリからイメージするのは、律義な働き者。それが作者の日本人観であったのだろう。

呼び鈴が鳴り玄関のふちに、大きな段ボール箱が置かれる。
弾んだ声がひびく。きた、きた!と。電化製品、家具、すしの出前や車もあろう。
家にモノが増えるよろこびに満ちた昭和の家庭風景である。

あくせく働くサラリーマンにとって、家族の“きた、きた!”はなによりの褒美であった。
モノの値段はふしぎだ。金持ちはいいなあと思っていると、カラーテレビも、車も、パソコンも、いつの間にか天上からわが家に降りてきてくれた。

過去70年間を振り返ると、多くの人に浮かぶ歴史的な出来事は何だろう。
オリンピックのような祝祭、震災や台風といった災害、バブル経済政権交代もあるかもしれない。たいていは日本の光景か。

 

1678

 

歴史を考えるときの自分とは、ふつう日本人としての“自分”だ。
しかし今、そのふつうが必ずしも“ふつう”ではすまない時代なのだという。

グローバル時代になり、人やモノ、カネ、情報が国境を軽々と大量に超える。
社会の抱える問題も国境で区切られなくなっているようだ。

金融危機地球温暖化感染症……。日本だけの問題ではなく、被害にあうのは多くの国の経済弱者、人類全体だったりと。

解決に取り組む人々のネットワークも日本という枠だけにおさまりきれない。
歴史家・入江昭さんは“グローバル・ヒストリー”の重要性を訴えている。(『歴史家が見る現代世界』)

それは、国や文化の枠組みを超えた人々のつながりに注目しながら、歴史を世界全体の動きとしてとらえ、<自国中心の各国史から解放する>考え方だという。

現代、どの国も(世界の)ほかの国や人とつながり、混ざり合い“混血化”、“雑種化”しているとの指摘もある。

ところで、アリの大敵にアリジゴクがいる。砂地にすり鉢状の巣を掘って潜み、落ちてくるのを捕食する。巣は砂が崩れないぎりぎりの角度に作られていて、アリが脚を踏み入れると崩れるそうだ。

戦争、テロ、大災害、不況の連鎖・・・。あとを絶たないことばかりである。グローバル時代の良いところ、悪いところはもちろんあるはずだ。ただ、なにかが起きればアリジゴクの穴に脚をかんたんに踏み入れそうな気がしてならない。

 

 

今週のお題防災の日

 

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