恐るべき効果のポケモンGO
ゲーム音痴の私がポケモンGOにトライしてみた。
職場の前にいたポケモンを発見。通勤の往復で、2匹捕えることができた。
良くできたゲームで、多くの人があれほどハマるのがよくわかる。
ポケットモンスターは、ゲームソフトシリーズの名称で、登場する架空の生物の総称だ。モンスターボールに入るとポケットに入るから、ポケモンというらしい。
かつてテレビにつないで遊んだファミコン。今はあれよりもっと高度なゲームがスマホでかんたんにできてしまうとか。
2年前、近所にある公共施設内の娯楽室でおどろいた。そこはバドミントン1コート、卓球台が3台置けるスペースなのだ。競技に興じる若者や子どもたちが集う場所である。
そのとき、部屋の両壁際や隙間に大勢の子どもが、数名ずつで輪になり座り込んでいるのを見た。施設建設の際、児童公園の敷地を半分使用したため、遊びに来る子どもも受け入れる、というルールになっているそうだ。
円座の子どもたちは、みんな無言で携帯ゲーム機に熱中していた。あとで知ったことだが、通信で同じゲームをしていたのである。それを見て、怪しげな宗教集団を連想してしまった。集まる子どもたちは一様に生気がなく、魂が吸い取られているようにも感じた。
子どもや若者に特有な活気があってもいいのに、元気なのはお年寄りばかりだ。
外が晴天でも、わざわざ屋内に集まり無言の電子ゲーム漬けなのである。
“泥だらけ”で遊んだり、夏には真っ黒に日焼けする子どもたちが、そこにはまったく見当たらない。色白で洋服もきれいなままだ。
ここ数ヶ月では、ゲーム機からカードゲームに好みが様変わりしている。
子どもは優先順位がハッキリしているから、遊びも均一化しているのだろうか。
それでも、屋内にたむろする姿は以前のままだ。
モノのない時代に生まれた子どもが戦後のタイミングで大勢できた。
だから、モノを作れば作るほど流通したし、洋食も食されるようになった。
さんざんありがたがられたモノや食品も、いつしか手の届く所に置かれている。
少子化で生まれてきた子どもたちは、モノにも食べ物にも不感症で、バーチャルな空間へ自らのこころを置き始める。
活字世代からの移行で、ゲームやコンピュータなどデジタル育ちの子どもは、青春時代なしで大人になる、という説もある。子どもと大人の境い目がかなり曖昧なのらしい。
ポケモンGO配信後1日目の昨日のことであった。
例の娯楽室に毎日60~70人もが集まり、カードゲームに熱中していた子どもたちが、ひとりもいなかったのだ。
外で、スマホを見ながらウロウロしている学生や大人を、何人か見かけた。
法事でお世話になる住職さんのお寺の境内では、子どもたちでごった返していたという。
良いのか悪いのかはわからぬが、絶対に外へ出なかった(近所の)子どもたちまで、外で遊び始めたらしいのである。