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日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

セコさには反骨のセンスが大事

 

ケチにも上には上がいる。
五代目志ん生さんの『落語黄金餅』のまくらがおもしろい。

釘を打とうと、近所に金づちを借りに行ったら断られた。
その理由は、鉄(かね)の釘を打たれたら金づちが減るから、なのだと。
そこでいわく、しみったれな野郎だ、それなら自分の家の出して使う、と言い返す。

ケチは自分の懐に入れることは好きだが、出すのは大嫌いだ。
<本当なら息を出すのもいやなんだけども、出さなきゃ苦しいからホンの少しだけ出しとこう>。

落語『搗屋(つきや)幸兵衛』の幸兵衛さんは、長屋を回るのを楽しみにしている。
そして、なにかといえば口を出す。

ホラホラお花さん、飯が焦げてるよ。
なに、知ってますゥ?
洗濯をしていて、手が離せません?

両方はできないんだよ、両方は!。
「あくびしながら何か噛もうたって無理なんだ」。

この幸兵衛さんと話題の某都知事を掛け合わせたら、幸兵衛さんはどのように声をからすことか。あの方は、あくびしながらなんにでも噛み付いているみたいなので。

 

1618

 

自分の映画を豆腐にたとえたのは小津安二郎監督。
豆腐の対極で、人間の欲望、弱さ、醜さ、哀しみのすべてがドロドロに溶けた煮込みの世界を描いたのが今村昌平監督である。

小津監督に師事し、やがて離れた今村昌平さんは、『にっぽん昆虫記』『楢山節考』、『復讐するは我にあり』などの社会派で濃厚な作品を撮り続けた。
人間の欲と業ほど摩訶不思議で面白いものはない、との視点である。

生涯をかけてうまい豆腐をつくりたい、として、ことさらな味つけを排し、素材がおのずと醸し出す風味を描く小津監督とは対局の作風といえる。

「汝ら、何を好んでウジ虫ばかり書く」。信州蓼科の小津さんの別荘で酒杯を傾けているとき、かつての師からそう聞かれたという。小津さんからは、今村さんの描く人物の対象が理解しがたく、選択の安易さやセコさを感じたのかどうか・・・不明ではあるが。

 

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内心、<このくそじじい、上等だ。おれは死ぬまでウジ虫を書いてやる>と、今村さんは歩む道を固く心に定めたという。そのリアクションでの反骨心はすさまじい。

その発憤から“世界のイマムラ”が生まれたことを思えば、師とはまことに有り難いものである、と今村さんはのちに語っている。
日本人では初めて、カンヌ映画祭で2度の最高賞に輝いてもいる。

手っ取り早く作品を作ることはあり得ない。それでも、反骨心や発奮材料は大きなパワーに変わったことだろう。

明治期の経済学者・和田垣謙三さんは、“手っ取り早くお金を作る方法はないか”と学生から尋ねられた。その答えがふるっている。
<猿の毛を抜きなさい。猿(monkey)から毛(k)を抜けばお金(money)になる>と。

猿の毛を抜くことしか考えず、自分の懐に入れることは好きだが、出すのは大嫌いな御仁の身近には、小言の幸兵衛さんや小津安二郎さんのような方が、ぜひともいてもらいたいものである。

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