操れないモノに迷うが人の常
日本の芸能界をサラリーマン式とすれば、ハリウッドは自営業式だといわれる。
それぞれのタレントが、自分のキャリアを自分でコントロールして、責任も自分で持つ。
アメリカで人気のテレビドキュメンタリー『アクターズ・スタジオ・インタビュー』では、クリント・イーストウッド、ロバート・デニーロ、メリル・ストリープなど数々の大物スターが出演。俳優を超えた“生身の人生の重みを伝えることば”に感銘を受ける。
大リーグで活躍中のイチロー選手にも、それが当てはまる。
体調管理、バッターボックスに立つまでの気持ちの持ち方などすべてで、“自分自身がコントロールできる”ようにと徹底する。
多くの人がやってしまいがちなのが、“コントロールできないもの”に目を向けてしまうこと。
<その日の天候や相手チームの守備位置、スタジアムの芝の種類などは自分ではコントロールすることはできません>との弁である。
イチロー選手が首位打者争いをしていた時、インタビュー記者がライバルのその日の成績を伝えた。その返事は<愚問ですね。彼の打率は僕にはコントロールできませんから>と。
ヤンキース1年目の松井秀喜選手は、出だしでつまずき成績があがらない。
厳しいニューヨークのメディアである。「気にならないか」と松井選手に訊いた者がいる。
<気にならないですよ。だって彼らの書く物は僕にコントロールできないもの>と応えた。
自分にコントロールできることとできないことを分け、コントロールできないことに関心を持たない。これは日常生活にも必要なことであろう。しかし、コントロールできないものに魅了されてしまうこともあるようだ。
ヴァイオリニスト・千住真理子さんがストラディバリウス「デュランティ」を初めて手にした時、その楽器の経歴を全然知らなかった。弾いたとたん、ものすごい音が鳴った。
ずいぶん弾かれてきた楽器で、ものすごく体格のいい人がバリバリ弾いていたから、こんなに大きい音が出る、と勘違いしたそうだ。
千住さんがコントロールできないほどに、勝手に鳴っちゃって、手に負えない。言うことをきいてくれないのだ。これが第一印象であった。
自分の人生がガラガラと音をたてて変わっていくのを感じ、どうすることもできない運命につかまってしまった。千住さんはもうこの楽器から逃げられない。もう放したくない。
何だったらこれを持って逃げたいと思ったくらいだったという。
弾けば弾くほど、イメージしたことのない音がどんどん出てくる。もしかしたらこれは楽器ではなくて、“地球外生物”なのではと思うほどなのだ。
心をすべて見透かされている気がして、誠実に向き合わなければ、何が起きても不思議ではないと感じる衝撃だった。
AI(人工知能)が自分で大発見をする可能性もあるという。
AIが勝手に知識を拡大していくと、その延長上では、機械が機械をつくるかもしれないのだと。まるでSFの世界である。
人間が関与しないAI文明では、電源が抜けないとコントロールする術がなくなる。
電源を切ればいいと思いがちだが、賢い彼らは自前の電源を必ず作るだろう。
半世紀前、マーシャル・マクルーハンはテレビメディア論を唱えた。
電波の誕生は「熟読型」を消滅させた。<推敲を重ねた文を練っても聴覚型には訴えない>のだと。
そして、<自分も口に出して読むような「口腔型」が現代タイプなのである>。
エレクトロニック時代には、それらのメディア自体が人間をを変え、<メディアがわれわれそのものになる>。
テクノロジーをコントロールして批評の武器にしようとする人間より、テクノロジーがはるかに進んでしまうという予言であった。
今のネットやAIに置き換えると、辻褄が合うような気になってくる。
テレビ・メディアもまだまだ健在で、なにが飛び出すかわからぬトランプ氏に話題が集中するのも、テレビという媒体をうまくコントロールしているからなのであろう。