日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

笑点が人気の秘訣は何だろう

 

チャンチャカチャカラカ チャンチャン~~♪
日曜夕方、お馴染みのテーマ音。1966年5月に始まり、もうすぐ放送51年目に突入するのが『笑点』である。

その名付け親は(7代目)立川談志さん。当時流行の三浦 綾子さんの小説『氷点』からのもじりだという。私は、スタート時から今も観ている。毎週欠かさずというわけにはいかないが、この数年は抑えの録画を忘れない。

深夜の寄席番組『金曜夜席(よせ)』を受け継ぐ形で、『笑点』は始まった。現在は毎週日曜夕方放映で、演芸と大喜利の2部構成である。年間の平均視聴率はここ20年間で15~20%の間を推移するという。マンネリもなんのそのの高視聴率なのだ。

「山田君、座布団1枚やって」、「全部取りなさい」。
桂歌丸さん(5代目司会)が、座布団運びの山田隆夫さんを指さすと、客席が沸く。

 

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歴代司会者は(7代目)立川談志さん、前田武彦さん、三波伸介さん、(5代目)三遊亭円楽さん、そして現在の桂歌丸さんである。

大喜利の問題は流行語や演芸の雑学などを採り入れ、毎回たった3問なのであるが、毎週100問ほどを持ち寄り、厳選しているとのこと。

高水準、高視聴率の秘密には、座布団の関わりが大きいようだ。。
当時、他局でやっていた大喜利では、悪い答えだと顔に墨を塗るやり方だった。子ども心で見たが、おもしろさは感じなかった。

笑点』の初代プロデューサーはその逆手をとり、ご褒美を与えようとの発想で、座布団を積んだらおもしろいのでは、と始めた。そして、座布団を運ぶ者までが『笑点』で欠かせぬメンバーになっていくのだから、その効果は大きかった。

 

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現在の座布団運び・山田隆夫さんは、1984年10月に6代目座布団運び役に就任。『ずうとるび』というアイドルバンドで活躍した経歴もある。そのデビューのきっかけが、『笑点』の「ちびっ子大喜利」のコーナーで“座布団10枚を獲得した”ことだというから、縁はとても深い。

印象に残るのは2代目座布団運びの毒蝮三太夫さんである。1968年12月までは本名石井伊吉さんの名で出演。テレビドラマなどで活躍する役者さんであった。
初代司会者・立川談志さんの盟友でもあり、座布団運びを機に談志さんから現在の芸名を命名された。

腹黒キャラの(6代目)三遊亭円楽さんは、歌丸さんに“骸骨”、“やるかじじい!”と容赦ないが、受けた歌丸さんも<山田君、座布団持って行きなさい>とクールに返す。

円楽さんいわく<先代の(5代目三遊亭円楽)師匠と歌丸師匠が楽屋で、もっと悪党になれと言ってくれたため、腹黒が誕生した>とのこと。

歌丸さんとの掛け合いで忘れられないのは、(4代目)三遊亭小円遊さんである。飄々とした歌丸さんに対し、気障なしぐさでの毒舌大会。これが見たくてテレビにかじりついていたのを思い出す。

 

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笑点』にも危機感があったという。『THE MANZAI』などが隆盛を極めた80年代の漫才ブームである。<当時のプロデューサーは、演芸コーナーにあえて漫才の人気者は出さない>ようにして、太神楽の曲芸師や歌謡漫談を出演させるなど、独自路線を貫いたそうだ。

90年代の相撲の“若貴フィーバー”の頃、視聴率が15%を切ることもあったが、スタンスは変えなかったという。

歌丸さんが(2006年に)司会になったとき、番組をどう変えるかと聞かれても<変えません。無理に変えない。自然に変わっていくのが笑点です>と答えた。

笑点』の大喜利の見どころは、落語家さんの素の部分が見えるのがおもしろい。
個性ある回答や名人芸。同じ題で比べて見られるのがうれしいし、ポンポンと笑わせるのは名人芸。

舞台セットや小道具の手作り感、座布団も味があり、アナログ感が満載である。
メンバーが突っ込みながら、真は仲良さそうでよい感じが伝わる。
他の番組が次々と変わる中、ずっと変わらないからこそ『笑点』に新しさを感じるのかもしれない。

 

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