日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

クリスマスに関するあれこれ

 

クリスマスはキリストの誕生日ではないという。
半世紀以上も生きてきて、つい最近そのことを知った。悔しいので、周りの人に訊いてみたところ、知らない人が多かった。

クリスマスとは、イエス・キリストの<降誕(誕生)を祝う>ミサなのだという。
当時は日没が一日の境目で、クリスマス・イヴの12月24日の夕刻から朝までが、教会暦上でクリスマスと同じ日に数えられる。

アメリカではうかつに“メリークリスマス”を口にできない、という新聞記事を見た。それは、他の宗教を信仰する人への配慮からであり、あいさつも宣伝も無難な“ハッピーホリデーズ”が広まったという。

きよしこの夜』もだめな公立学校があるらしく、クリスマスツリーはコミュニティーツリーと呼ばれる。憤る牧師は<宗教的伝統に対する迫害>とばかりに、クリスマスを取り戻すべき活動に、賛同も集まっているようだ。

クリスマスには、どんちゃん騒ぎをし、その1週間後は神社仏閣にて、すまし顔で初詣をしているわが国とはなにかちがうようだ。

 

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<クリスマスの前の晩に、丸々と太った陽気なおじいさんは、8頭のトナカイが引くソリに乗り、各家に煙突から入ってきてプレゼントを配る>。1823年の12月、アメリカの新聞に1編の詩が掲載された。

神学者クレメント・ムーアが作者と名乗り出た『聖ニコラスの訪問』なのである。
この詩により、サンタクロースのイメージが作られ、世界に広まったとされる。

聖ニコラスは4世紀頃に実在したキリスト教の司教で、子供や貧しい人へ施しをした伝説が残る。サンタの起源なるのだが、やせて謹厳な風貌で描かれたものが多いらしい。

真っ赤な衣装で太った体。柔和な笑顔のイメージで陽気なサンタ像の仕掛け人は、
コカ・コーラ社のようだ。1931年から始めた広告に受け継がれ、現在のサンタ像が定着した。クリスマスの贈り物の習慣は、冬至にご馳走を分け合った欧州のしきたりが由来だとか。

 

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“小春日和”という言葉がある。俳句では冬の季語になっている。
ある調査で<初冬の頃の、穏やかで暖かな天気>と答えた人は51.7%だという。
半数弱の方は、別の季節の言葉と勘違いされているのかもしれない。

アメリカで小春日和に相当する言葉は、“インディアンサマー”なのだという。
冬の備えで、アメリカ先住民が収穫物を貯蔵したり、南に移動するため平原に現れたりしたのに由来すると言う。

一方、フランスやイタリアでは、“聖マルタンの日”といわれる。聖マルタンが、裸で凍えている人に自分のマントを脱いで与えたところ、その人は<イエス・キリストだった>というエピソードを持つ聖人で、記念日は11月11日である。

 

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昨年、国連の世界気象機関(WMO)の公開した「2050年の天気予報」の中で、<紅葉の名所・京都の見ごろは12月下旬、クリスマスあたり>と伝えられていた。

紅葉といえば秋のイメージであるが、あながち否定できないと思われる。この数年、カエデやイチョウの色づきも、全国的に遅れる傾向にあるという。黄金色に輝くイチョウは、師走の風景になりつつあるのかもしれない。

日本列島の長さを思うと、北国は雪で白いのに、西日本の多くはカエデがまだ紅葉日を迎えていなかったりする。最低気温が8度以下になると色づき始め、5、6度で一気に進む。そして、紅葉日の全国平均はここ50年で18日も遅くなっているそうなのだ。

温暖化の傾向が続けば、クリスマスや正月に紅葉狩り、という事態も各地で起こりうる。秋の季語のはずの“紅葉”であるが、異常気象により“冬の風物詩”に移り変わろうとしている。また、クリスマスの時期に青いカエデの葉が、地球の危機を映しているかもしれないのだ。

クリスマスや正月の風景も、この先どんどん変わっていくのだろうか。
人間も、若い世代で男女の出会いや付き合い方も変わってきた、という話をよく訊く。
生活の優先順位は、自分の“時間”、“友達”、“仕事”であり、<この3つが調和した今の生活を乱したくない。だから、恋愛に気が向かない>。

若者の多くは恋人を作らないと決めているわけではないが、積極的に求めるでもない。
恋愛に“飢え”がなく受動的らしい。今の若者にとって重要なのが、恋人から友人に移り、クリスマスに恋人がいないことより、ハロウィーンを一緒に楽しむ友達のいない方がつらい・・とも。

ハロウィーンというイベントの時期を考えると、クリスマスは希薄で魅力のないものになりつつあるのだろうか。バブルの絶頂期、クリスマスに大金を投じて恋人と過ごした若者たちは今、どんなクリスマスを迎えようとしているのだろうか。