日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

時の移ろいにはエピソードが


“タレント多くしてスターが稀な”この時代、永遠の大スター女優・原節子さんが亡くなった。42歳で女優を引退後、半世紀以上も表舞台から姿を消していたが、テレビや新聞で哀悼報道が多いのにおどろいた。

小津安二郎監督、黒澤明監督の作品では馴染み深いが、リアルタイムでの映画は観られなかった。いつか原節子さんのことも書いてみたいと思う。

不滅の大スターとも称された高倉健さんが亡くなり、各方面から大きく報道されたのも昨年の11月であった。吹雪の中に立つだけでこれほど絵になる人は、なかなかいない。

網走番外地』、『南極物語』、『八甲田山』など、寒い地が舞台の映画が記憶に残る。
北海道の終着駅を守る初老の男を描いた『鉄道員(ぽっぽや)』も同様である。
不器用に生きる男の“情と味”を、みごとに温かく演じて見せてくれた。

<芝居だけをすれば楽なのに、健さんはしない。役になりきろうとする。それが人の心をとらえてきたのだと思います>。そう語るのは、『鉄道員』で共演の小林稔侍さんである。

 

1438

 

訪米中の三木武夫首相(当時)がワシントンで講演した際、記者から質問が出た。
今から40年前(1975年)のことである。
「当地にはプロ球団がない。読売ジャイアンツの招致にお骨折り願えないか?」。
首相は日本語でボソボソ答えた。「話を何とか進めて・・」と。

通訳の国弘正雄さんが、すかさず英語に訳した。
プロ野球はいまや米国のみならず、日本の国技でもある。あなた方ね、私らが何でもイエスと答えると思ったら間違いですよ。日米交渉と同じです。ご提案は受諾しかねます」。

居並ぶ現地記者たちがワーッと拍手に沸いた。
当の首相は隣でキョトンとしていた、という。

米国メディアは意表をつく質問を飛ばし、その応対を見て相手の“器”を量るときがある。
国弘さんは事前に、首相から“誤訳”する了解を得ていたという。

国弘正雄さんは、アポロ11号が月面着陸する様子をテレビで同時通訳したことでも知られる。国の体面と利益を縁の下で支えた“外交の戦士”が84歳で死去したのも、昨年の今頃であった。

 

1439

 

<この頃ボクは文ちゃんがお菓子なら頭から食べてしまいたい位 可愛いい気がします>とある。のちの妻となる塚本文さんに、25歳の芥川龍之介さんが宛てた手紙だという。

著名な故人とはいえ、ひとの恋文を読む行為には、心の奥を盗み見る疚しさがつきまとうものである。

昨年、谷崎潤一郎さんが妻・松子さんと交わした未公開書簡の存在が確認された。
<私之(の)生命身体家族兄弟収入等総(すべ)て御寮人(ごりょうにん)様(=松子)之御所有>、<何卒、御側(おそば)に御召使(おんめしつかい)くだされ候(そうろう)>。

結婚前の松子さんに宛てた手紙の文面である。文豪・谷崎さんにとって松子さんが、創作を刺激する“美の女神”であったのは有名な話である。

芥川さんの“お菓子・・”もそうだが、恋文という「敗北証明書」があると、後の夫婦喧嘩で困ったことになりはしなかったのか。余計なお世話と知りつつも心配になってくる。

 

1440

 

日本の歌舞伎は2005年、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)に傑作宣言され、2009年に無形文化遺産の代表一覧表に記載されたという。役者、裏方など、先人が心血を注いで磨き上げた芸術が、世界に認められたことは、関係者の大きな喜びであろう。

ある芝居で、三代目坂東三津五郎さんが、湯飲みの縁を爪で弾く場面があった。三津五郎さんは張り子の湯飲みを用いていたが、数日後に裏方が気を利かせて瀬戸物に取り換えた。

<瀬戸物を瀬戸物に見せるのは、誰にでもできる。このごろようやく張り子が本物に見えるようになったものを・・・>と、三津五郎さんは語ったそうだ。

五代目・尾上菊五郎さんは、芝居に出てくる人間の首の重さを知りたくて、仕置場で獄門の首を持たせてもらった、という物騒な話もあるらしい。このような芸道ひと筋のエピソードの数は限りないようである。

“舞台風(ぶたいかぜ)”というものが芝居の世界にはあるという。幕のあがる瞬間、人いきれで気温の高い客席に、舞台から吹きおろす風なのだそうだ。
それは、大入りの劇場でなければ、なかなか体験できない風でもあるようだ。