日日平安part2

日常を思うままに語り、見たままに写真を撮ったりしています。

ノーベル賞および よもやま話


暗いニュースが続く昨今、日本人による連日のノーベル賞・受賞では、ほのぼのとするうれしさを感じる。

ちょうど昨年の今頃は、赤崎勇さん、天野浩さん、中村修二さんの3氏に、ノーベル物理学賞が贈られた。青色発光ダイオード(LED)を世におくり出したことの功績が讃えられてのことである。

漢字の祖国・中国で、“青”は野菜やヒスイなどの緑をさすことが多いという。
青果、青菜などと日本でも言うことはあるが、私たちが認識しているのは、どうしても海や空の青なのであろう。

白や緑ともくっきり世界をへだてるこの光が、人類の至宝として顕彰されることになった。科学者3氏の英知が合わさったゆえの青だろう。照明、信号、スマホなどと、その科学は実用の域に入り、身近な場所にある。学問がどれほど人の役に立つかを改めて教えてくれる。

 

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新宿駅は<場末の、よく流行っているバーのマダム>、上野駅は<乾物屋のおやじさん>、東京駅は<大きなホテルのフロント主任>の顔を思わせるという。
かつて、独文学者・高橋義孝さんが東京の駅を人の顔に例えたのだ。

小津安二郎監督の映画『早春』“1956年(昭和31年)”におもしろいセリフがあった。
東京・丸の内・丸ビルの窓から若い社員がふたりが、東京駅を眺めての場面である。
「毎朝降りるサラリーマンは34万人。仙台市の人口と同じだって」
「おれたちもその一人なわけだ、34万分の1か」。

経済成長を動かす歯車の、誇らしくもどこか味気ない胸の内を表現している。
おしゃれな店舗の立ち並ぶ今の丸の内には、映画の面影もない。先々を夢見て今を辛抱する高度成長の時代もとっくに終わり、低成長の中で日々の暮らしをどう彩り豊かにしていくのか。殺風景な“歯車の街”からの変容は、その投影なのであろう。働く人の関心も移りつつある。

 

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<去年の自動車ショーに、中菱重工業が出品した“中菱360”によって、国民車ブームが吹き荒れた・・・>。梶山季之さんの小説『黒の試走車』の一節である。

1958年(昭和33年)、富士重工業は軽乗用車“スバル360”を発売し、この小説はその4年後に書かれた。

新型車開発をめぐる業界内の激烈な競争を描き、マイカー時代の到来前の熱気を伝えている。“ナゴヤ自動車”をはじめとする老舗のメーカーには、“中菱重工業”など戦後に参入した後発メーカーの迫り来る足音が不気味でならない。

ゴヤ自動車ならぬトヨタは、自動運転の試験運転にも積極的で、その普及がどんどん早まりそうな勢いである。富士重工業で先行した自動ブレーキも、車に搭載される動きがどんどん広がっている。日産自動車も今秋までに、国内発売の主なモデルで標準装備にすると発表。トヨタ自動車は主力の「カローラ」で搭載を始めた。

GMの業績悪化に伴い2005年(平成17年)10月5日には、GMが保有する富士重工株20%をすべて放出。放出株のうち8.7%をトヨタ自動車が買い取って筆頭株主となり、<富士重工業トヨタ自動車が提携することで合意>といういきさつもある。

競争と協調を両立し、勝ちつづけながら勝ちすぎないために、アクセルとブレーキはどのように使い分けたらいいのか。未踏のテストコースを走りはじめたトヨタという“試走車”には興味が尽きない。

 

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話をノーベル賞にもどそう。

夫のピエール・キュリーともに、大量のピッチブレンド(瀝青ウラン鉱)の残渣からラジウムポロニウムを精製、発見したキュリー夫人は1903年に夫婦でノーベル物理学賞、1911年には単独でノーベル化学賞を受賞した。

1934年に放射線学の白血病で死亡したキュリー夫人が、40年間の研究生活で浴びた放射線量は、(一説に)一般人の6億倍ともいわれた。没後、夫人の実験ノートは放射線を発する危険物として扱われたそうだ。

<科学とは血の川のほとりに咲いた花園だ>。寺田寅彦さんの言葉である。
夫人の業績も花園といえよう。ときに科学者は、真理の“的”に我が身を重ね、探求心の「矢」でもろとも射抜いてみせる。

 

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10年前のノーベル生理学・医学賞に、胃潰瘍などを引き起こすピロリ菌の発見者ふたりが選ばれた。西オーストラリア大学のバリー・J・マーシャル教授は自ら菌を飲み感染し、病気との因果関係を裏づけたという。

マーシャル教授は学会に出席するために来日した折、<安全性を確認できない実験を他人に頼めなかった>と取材に答えている。「あとで妻に怒られた」とも。真理への恋も道ならぬ恋と同様、家で怒られるものらしい。

この先も、ノーベル賞の発表が続くようだ。
血の川のほとりの花園には、いったいどのような花が咲くのであろうか。